コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] インシテミル 7日間のデス・ゲーム(2010/日)

いくら美術や演者を豪勢にしても、話がお粗末では単なる無駄である。その意味で監督の中田秀夫および脚本の鈴木智が犯した罪は重い。(原作を読了し、それを踏まえた感想を追記しました。原作と参考文献のトリックに言及しています 10.21)
Master

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







衝撃を受けた。もちろん普通の意味とは違う。

米澤穂信による原作は、ネットなどの書評で高評価を受けている。本格ミステリ大賞の最終候補作にもなっていることから考えて決して「箸にも棒にもかからない」作品でないことは分かる。監督は中田秀夫。『L change the worLd』でミソをつけたとは言え、『リング』・『怪談』の監督である。そんなに酷くはならないだろう・・・。

と、思っていたのが、甘かった。

自分の目の前に提示されたのは、著名なミステリーや映画、それにゲームの表面的なルールを思慮なく組み合わせ、登場人物の処理に汲々とし、その結果として薄っぺらくなったお話であった。

舞台設定は悪くない。「そして誰もいなくなった」もろパクリであっても、綾辻行人の影響がぷんぷんとにおっていようと、この「暗鬼館」という場所の設定は怪しさをかもし出す意味で効果的である。また、「人狼」・「カイジ」・「バトルロワイヤル」を髣髴とさせるようなルール設定、状況変遷などエッセンスも悪くないと思う。

しかしながら、それを生かしきれていない。例えば、最初の殺人の後、「探偵による捜査」を促すような演出をしているが、その後行われる殺人ではそういった描写は全くない。それらしいことをして「探偵ボーナス獲得!!」というナレーションが入るシーンはあるが、込み入ったルール設定を初めにしておきながら、そのルールを使わないのは 怠慢以外何物でもない。

また、最初の「捜査」の後、「探偵ボーナス」獲得を喜ぶ大迫雄大(阿部力)と橘若菜(平山あや)に安東吉也(北大路欣也)が「不謹慎だ」というような台詞を吐いてたしなめ、被験者全体がそれに納得しているかのような演出をしているが、これによって本作のスタッフはこのシチュエーションが持つ「魔力」を全く理解していないことが露となっている。

つまりは、この状況を心底楽しむ被験者をなぜ設定しないのか心底疑問なのである。一応、岩井荘助(武田真治)にそういった役割を振っているつもりなのは分かるが、彼は最初に投獄されて以降大迫殺害以外は基本的にストーリーに絡めない状態になるため、ストーリー上の推進力を剥奪されてしまう。これはかなりもったいなかったと思う。

あと、どうでも良い箇所だが、『誰も守ってくれない』も窺わせる浅はかな「ネットやる人」描写は君塚良一直系の面目躍如といったところか。これはまぁある意味、面白かった。

最後、演者について。さすがに北大路、片平は安心して観ていられる。石井・武田のエキセントリック担当も本作では良かったと思う。しかし、後は軒並み厳しい。綾瀬・石原の二人は結局違うタイプのコメディエンヌなのだと思う。シリアスさが要求される今作のようなキャラは難しかったのではないか。藤原は相変わらず芝居の演技。舞台なら間違いなくこの人は映える。映画での起用は止めた方がいい。他は、各個々人の力は出せているのではないかと思う。効果的かどうかは別の議論だが。

全体を通してとにかくがっかりな作品であった。

(2010.10.16 109シネマズMM横浜)

-- 追記(2010.10.21) --

原作を読了したので、比較という観点から追記する。

納得できる箇所もあるにはある。確かに、ボーナスやペナルティの設定をそのまま映画の世界に組み込むのは無理だろう。かなり簡素化するのは必然である。ガードの役割についても同様で、必要最低限にするのもしょうがない。

しかし、こういったルールが必然的にかもし出す緊張感、それによって生じる被験者の精神的・体力的消耗までも大幅に削ってしまう演出はやはりいただけない。暗鬼館での実験開始までの描写も緊張感の醸成には重要だと思う。「ライアーゲーム」見て来い!と言いたい。

また、自室で寝てしまえば自分を殺そうとしているものが入ってきたとしても全く分からないという「夜」の設定は、当然被験者の緊張を強いることとなり、結果としていらぬ軋轢をも生む。そういった当然起こりうる生理が映画からは感じられない。クローズドサークルという状況を全くもって理解できてないのではないか。

それにもかかわらず、「そして誰もいなくなった」で使われた誤認トリックをしれっと挟み込んでくる浅はかさにはあきれ返る。まぁ、このあたりは『踊る大捜査線』シリーズで無邪気に出典元をキャストに喋らせる君塚良一に通じるものがあるが、そういうので喜ぶ人なら凶器に添付されている「メモ」は原作レベルで詳細なのを求めるし、原作ラストシーンのメモに記載された作品のトリックを先読みした行動も必ず求めてくる。どういう層に向かって話をしたいのか、ちゃんと考えないとこういった適当な作品が出来上がる。

映画ラストシーンも酷いものである。この組織が「徒歩で帰らせる」なんて事するわけがないだろう。金を捨てさせたかったのは理解する。それなら最初から受取らなければ良い。また、須和名の設定変更も必要ないのではないか。それこそ原作通りに、新実験への招待状に驚愕する結城で終わらせれば良かっただろう。「ネットやる人」描写を選択したための措置だろうが、組織の収入源などこちらは知ったことではないのである。そんな設定足すのなら原作の設定を生かすことを考えろといいたい。

正直、原作も完璧とは言いがたい。結城が監獄に収監されて以降の後付説明の嵐はいかがなものかと感じたことは否めない。だが、それでも話の推進力で十分読者の興味を引く作品であることは間違いがない。そういった「導く姿勢」が映画版にはない。それが分かっただけでも収穫であった。

(評価:★2)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)ふくふく やすべえ セント[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。