[コメント] あにいもうと(1953/日)
作中人物たちの日常は熟れてほとんど終末的な退廃に接近しているかに見える。しかしそれは彼らにとってまさに日常であるのだから、彼らはそのことに気づきすらしない。一方でラストに限らず爽やかな空気が取り込まれてもいるのだが、その文字通り嘘のような爽やかさが却って怖ろしい。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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のちに愛情の裏返しであったことが明らかになるとは云え、森雅之が京マチ子に悪罵の限りを尽くすシーンにはちょっと鬱々たる気分にさせられる。森の行為は確かに愛情の裏返しであるのかもしれないが、それと同時に無力の裏返しでもある。森だけではない。この映画の人物は京も山本礼三郎も浦辺粂子も久我美子もみな等しく無力だ。川向こうの「東京」には確かに希望があるのかもしれない。しかし結局はそこもソフトな地獄にすぎないことを成瀬は他の作品で厭というほど描いてはいなかったか。
さて、成瀬の技巧的な事柄について云えば、もう手のつけられないほどの絶好調ぶりを示している。最も驚愕するのはやはり終盤における、シーン間を堀雄二と久我のバストショットのカッティングで繋いだ箇所だろう。それは「切り返し」という技法の制度性を残酷に暴き立てる「偽り」の切り返しだ。冷徹な筆致で画面に暑気を定着させる技術も驚異的。
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