[コメント] 武士の家計簿(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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映画はあらゆるものを映像で示さなければいけないから、面白い。江戸時代の食事形式は今のように食卓を囲む形式ではなく(と書いて、「今」も個食とか孤食と呼ばれる形式があるが、と補足しなきゃならんのが面倒だが)、いわゆる銘々膳で、これは昭和初年頃までは一般家庭でも主流であったそうだ。本作で見ると、もちろん銘々膳ではあるのだが、父・猪山信之(中村雅俊)を家父長席的な位置として、家族が長方形の食卓でも囲むような配置で座っていた。信之の背後にあったのは床の間とかではなく、ただの襖だったような気がするが、要は、カメラに正対する位置だ。武家の朝餉の様子なんて、あまり映画で描かれているのを見たことないから斬新さはあったが、銘々膳なのにこんな配置で座る必要あったのだろうか。いや別にいいんだけど、なんか、見た目が間抜けだった。
加賀藩の御算用場も、150人からの算用係を抱えていたと説明され、知識もないもので、なるほどたいしたものだなあと素直に感心してしまうのだが、画面で見るかぎり、せいぜい4〜50人しかいない(3交替とか?)。それ以上の説明がないから不明なままだ。寺子屋か何かのように皆同じ方向に向かって座り、算盤を弾いている(お茶を入れてくれる係の?人がいる)。それを監督する立場、と思しき役人が1人、皆に対峙して座っている(彼も算盤を弾く)。個々人の担務がどう割り振られているのか、それらがどう連携しているのか、配置からはまったく窺い知ることができない。実際に江戸時代この通りだったとして、「仕事が動いている」という感じが画面から伝わってこないのは、映画として欠点だと思った(受験生が試験でも受けているようにしか見えない)。
「聞きしに勝る『算盤馬鹿』」・直之(堺雅人)だとしても、婚礼の晩にまで算盤を弾いているというのは、ある種の衒いないし照れ隠し?を描いた人格描写かなと思わぬでもなかったが、身内の(それも実父の)葬儀の晩にまで、ってのは、完全な人格破綻者でないかい? ってか、そんなに深夜にまで作業が及ぶほど、事務量があったものなのだろうか。俺も昔、家計簿付けてたことあっけど、金銭の出入りを事細かに記録しとかなきゃいけない面倒さはあったが、計算そのものは、1週間分まとめたって数分もかからない。猪山家ってそんなに激しい金銭出入りのあるお家だったの?
と疑問に思い、計算してみた。彼(猪山直之=堺雅人)のキャラクターは、剣を算盤に持ち替えた侍、四六時中算盤を弾いている侍として成立しているからだ。1石は大人1人が1年間に食べるお米の量を基準とした通貨単位でもあるから、現在の国民1人あたりGDPを約300万円として大雑把に計算すると、猪山家の知行70石は、現在の貨幣価値で約2億1千万円の生産高に相当する。「税制」が5公5民だったと仮定して、猪山家には毎年1億円程度の収入があったことになる。確かにこれはかなりの高収入「家庭」だ。ちなみに、金沢市長や石川県知事の給料だって、せいぜい年収1300万〜2000万円程度だと思う。もちろん猪山家は、実際には映画に登場するよりはるかに多くの使用人を雇っていたのだと思われるが。
むろん私んちの収入と比ぶべくもないが、これだけの収入ある「家計」なら、毎晩遅くまで算盤弾いてないと計算終わらない、と言えるか? そこでもう1つ計算してみた。加賀藩百万石の金銭出納を計算していた算用者が150人。これも単純計算となるが、1人あたり7000石相当分の事務量を担当していたことになる。平均以上の算盤スキルの持ち主であればそれ以上だ。ということは? 猪山家70石の事務量は、彼が普段やっている仕事の、100分の1以下ってことでは? 1日12時間(720分)働いてたとして(あり得んだろうが)、自家分の計算は7分ほどで終わるはず? あれれ? 毎日5分以上集中して算盤に打ち込むという生活態度は尊敬に値するものであるけれど、その程度なら、日常生活のちょっとした合い間にチョコチョコっと弾いて済ませられるんじゃない?
なんだ、頭の中で考えただけの薄っぺらなキャラクターだったのか。
65/100(11/01/15記)
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