[コメント] 山の音(1954/日)
O型の典型的性質の「怒りを溜めるだけ溜めて一気に爆発させる」を地でいくような原節子の演技は、家族や世間体等が居並ぶ地殻の下で湧き出る場所を探すマグマのようであった。女性の立場が悲劇的に弱いがために犠牲になって往く悲劇が、川端、成瀬と確実に受け継がれて映画として観客に受け継がれていく。
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映画を見終った人むけのレビューです。
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夫の両親と同居したがために、夫と心が離縁になっていく様が展開されるというのを、同居の宿命的に描くだけではなく、しっかりと文学者作家らしく捻りを入れて、夫の父親に情が芽生えることを挿入して話を結末に持っていく。見事なまでに川端康成の十八番が絡み合った話を成瀬巳喜男が映像化に仕立て上げた。ノーベル文学賞作家となると、文章というプログラムは人間の脳に理想の憧憬を描くことを操作するまでに至るみたい。
当然しっかりと一コマも見逃すことなく映画を見ていたんだけど、可哀相なぐらいに上原謙が超嫌な男として延々と演技していていたので惨いなぁ、と、やや脱線して見ていた事は確か。上原謙の演じる男性の役割や、言わんとしている内容は判るんだけど、ちょっと上原謙が可哀相なまでに全女性の敵に近い男だというのが…。そこが、登場人物と上原謙が似合っていることがさらに可哀相感を引きだたせるのを巧く理解した、成瀬巳喜男の手腕かと思えば納得いくところ。
2003/1/11
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