[コメント] アニキ・ボボ(1942/ポルトガル)
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近作においては畸形性がよく目につき、ともすれば見落とされてしまいがちなオリヴェイラのオーソドックスな演出の力がいきいきと映画を躍動させている。冒頭、登校中のカルリトス少年は車道を横断する際に自動車からぎりぎりで身をかわす。続いてよそ見をしながら歩いていると街灯にぶつかり、その拍子に彼の被っていた帽子がスポンと飛ぶ。この映画がいかに充実した演出で満たされているか、これらは(確かに小さな例かもしれないが)それを端的に示している。
あるいは、カルリトスがテレジニャ宅の屋根から転げ落ちるさま、餓鬼大将エドゥアルドが線路沿いの崖から転げ落ちるさま、これらの「転落」も迫真のアクションとして捉えられているが、その成立要件のひとつとして、アクションをカットで割っていない(ワンカットで撮っている)という点を指摘しておけば、オリヴェイラがどれほど高い意識をもって演出に臨んでいたか感得されるだろう。
締め括りもすばらしい。カルリトスとテレジニャが人形を介して手を繋ぐハッピー・エンディングぶりも文句のつけようがないが、その直前の雑貨屋のシーンが実にいい。「飴の瓶がカラッポ」のギャグから「ねこで殴る」に至る流れには腹の底から笑う。この映画はイタリアン・ネオレアリスモの先駆的作品とも評されているそうで、確かにそれはそれで納得できる見解であるし、またテレジニャの「悲鳴」ぶりがヒッチコックを連想させるなど、制作年の先後を問わず様々な映画の記憶を呼び起こす作品だが、瑞々しい「子供」の魅力と「ねこ」の扱い方から私はジャン・ヴィゴを最も強く想う。
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