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[コメント] ダンシング・チャップリン(2010/日)

アクションを記録するということと、葛藤や懊悩をあぶり出すということ。すなわちダンサーの身体性と、その裏づけとしての精神性を可視化すること。映画の対極に位置する極上の被写体美を周防正行は、映画が映画であるための原点に忠実に立ち返って映画化した。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







第二幕「バレエ」を映画として成立させるためには、第一幕「アプローチ」が不可欠であった。何故なら、周防の映画的たくらみは、すべて第一幕に仕込まれている。後は理屈を忘れて美を堪能すればいいだけだ。

「こんなに美しいじゃないか。不用なものはすべて排除しダンサーの肉体だけがあればいい」老振り付け師ローラン・プティはきっぱりと言う。暗い背景、そして黒い衣装にくっきりと浮かび上がるルイジ・ボニーノの白い手。正確にはその手首から先が、まるで意志を持ったように闇を舞い、チャップリン(ダンサー)の心の動きと身体を先導する。そして、ムチのようにしなやかな草刈民代の四肢によって残像のように浮かび上がる、えも言われぬ美しい弧の軌跡。そのすべての軌道を支え、動きをつむぐ足、いやこれも正確に書けば足首から先の器官(あるいは機関)としての躍動美。確かに肉体だけで美しい。

「公園と警官と女性がいれば映画は作れる、とチャップリンは言った」と周防正行は言った。極上の完成度をすでに有している逸品(警察官の踊り)を、映画の原点のなかに引き戻してみたいという衝動。それは、ちょうど若き日の周防が小津安二郎の様式美を、小津的権威とは対極に位置するピンク映画『変態家族 兄貴の嫁さん』に取り込んでしまったときのいたずら心と同根の直感的衝動だろう。緑の野山を背景に躍動する警察官(ダンサー)たち。彼らの統制美がある種の異物となって、リアルな世界を撹乱するエキサイティング感。これは紛れもなく、すべてのアクション映画の原点に通じる高揚感だ。

シンプルで美しい映画だった。そして、シンプルだからこそ「映画とは何を写し撮るものなのか」という原点に思いが至る映画だった。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)水那岐[*]

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