[コメント] 三重スパイ(2004/仏=ギリシャ=伊=露=スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まずエリック・ロメール作品を初めて見た。
まるで舞台劇だ。
台詞だけで状況を伝える手法、そして長まわしによる緊張感は、舞台劇の手法である。
しかもその間、音楽はまったく使われない。
このあたりの技巧はハリウッドを中心としたアメリカ映画的な世界に反発していて評価できる。アカデミー賞作品の『アーティスト』でも述べたことだが、こうした手法おあるぞ、というのが世界の映画を鑑賞する楽しみでもある。見事である。
そしてニュース映像との対比。
まるで派手なシーンがない映画だが、主人公の夫婦が織り成す緊張感の高い会話と会話の応酬は戦時中のニュース映像と対比させることで臨場感が高まる。
主人公のヒュードルはフランスとドイツとソ連の三重スパイだが、その仕事の中身は台詞でしか語られない。爆発シーンもカーチェイスも何もない。にもかかわらず、そこに存在する主人公(スパイ)の緊張しきった姿(演技)は見るものを圧倒する。微妙に目の行き所を失う演技は演技とは思えない。演出の妙なのだろうか?
妻は夫を信頼するが、夫の仕事上の会話に疑念を抱く。
夫の真のイデオロギーはどこにあるのか。どこの国に帰属しようとしているのかがわからず、精神的に衰弱してゆく。
最後に、夫がソ連との駆け引きで仕事をしたことにより、妻が夫の疑惑を背負い込んで、裁判にかけられ、牢獄で足を切り落とし、そのままこの世を去る。このあたりのことは映像で表現されない。少ない説明調のナレーションでスパッと切り落とされる。
そして本人(夫)はソ連側の尋問から逃れたまま姿をくらまし、その後画面には登場しない。
最後に、この夫婦が住んでいたアパートに盗聴器が隠されていたことを警察が突き止めて、この映画は終わる。
救いのない終わり方である。
そしてまったく使われていなかった音楽が、最後のテロップとともに流れる。ロシア民謡のようだ。
この矛盾、この欺瞞、これらのことが本当にあった話として聞き取ると、この最後のロシア民謡に胸をうつ。
ふとチャップリンの『殺人狂時代』を思い浮かべた。あの映画は多くの女性を手玉にとる主人公の話であった。
しかしこの映画では、主人公のスパイである夫は表面上はあくまでも妻を敬い愛する。
それは、この仕事があくまでも仕事であることを示している。
主人公が次々と姿勢を変え、世界情勢の変化に合わせて自らの立ち位置を変え、人から何を聞かれても本音を示さないところがいかにもプロである。
繊細で緻密な計算に裏打ちされた見事な作品。
もっと多くの作品を見る必要を感じた。
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