コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] コクリコ坂から(2011/日)

これがジブリ作品の新しい風になるかもしれない。本作にはそれだけのパワーがある。と、ニヤニヤしながら考えてみる。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 たまたま鑑賞前にインタビューで監督自身が震災のことに言及して、「今の時代、求められているアニメはファンタジーではない」と言ってのけたように、本作は等身大の高校生の男女を主人公に、懐かしい雰囲気を出そうと努力しているのが分かる。そしてこれは褒めて然りだが、雰囲気作りに関しては上手く作られている。正直クサすつもりで観に行ったのに、逆に感心させられることとなり、嬉しい誤算を味わえた。

 最初、これ観て思ったのは、アニメとして作る意味あったのだろうか?という素直な気持ちでもある。実写でやってなんら問題なかった素材だし、実際一緒に観た人の感想聞いても同じ反応だった。

 でも観た後しばらくしてから少し考えは変わった。

 たぶんこれが宮崎監督の出した答えなのだろう。

 そもそも監督はアニメーションのテンプレートを全く学ばずに突然アニメ監督になってしまったのだから、アニメの動きを突き詰めることができるはずはない。『ゲド戦記』はそんな監督故にこそ大失敗を起こしたのは記憶に新しいところ。

 だからこそ、アニメと実写の狭間に自分自身の作風を置くことで、自分の立ち位置と言うものを確立しようと考えたのではなかろうか?アニメは多数のアニメーターの共同作業だが、細かい動きや表現はともかく、テンポや作品に横たわる空気感は監督の才能がとても重要である。才能で言うなら宮崎駿は世界有数の実力者であり、それを真似ることは誰にもできない。だからこそ吾朗監督は模倣を捨てることにした。実写作品の方を徹底的に学び、作品の方をそれに近づけようとした訳である。

 仮にこれを本当に実写でやってしまったら、ここまで話題を作ることもできなかっただろうし、むしろ駄作としかならなかった可能性も高い。だが、その狭間でなら作れると判断したのは、とても正しいし、ジブリだからこそそれができる環境があった。見事に自分の立場を理解していたからこそできたことである。

 根本的に自分がイメージ不足であることを知り、作風を実写に近づけたのなら、それなりのものが出来上がる。そしてジブリだからこそこれが出来る。少なくともその狙いは間違っていないし、これで宮崎監督は次回作作れるだけの布石をきっちり作り上げることもできたと言えよう。

 さて、ここからは蛇足。

 もの凄く乱暴に言ってしまえば、本作は老人の思い出話である。

 本作はマンガを原作とし、宮崎駿が脚本を書いたものだが、舞台となる1963年というのは、学生運動が徐々に高まっていく時代だった。ただ本作に描かれるように、この時代の学生運動はあくまで討論と、せいぜい示威行為までに止まっていた。70年代のように実力行使や内ゲバとは無縁の、左翼学生にとっては一番平和な時代でもある。  この時代、脚本を書いた宮崎駿の人生にとっても輝いてた時代だっただろう。既にこの時代には彼は“まんが映画”の中に入っており、若い情熱をもって動画を世に出そうとしていた時代。仕事しながら組合活動もしていたし、世界に対する啓蒙についても考えていたはず。本当に自分に対しても世界に対しても希望に満ちあふれていた時代だったはずである。

 だから、そんな時に青春時代を送ったサヨク青年の、「あの頃は楽しかった」という気持ちがこの脚本には詰まっているようだ。

 でも、そんな輝いていた時代にあって、口も重いし、いくら誇りがあっても対外的には胸を張れない仕事に就いているまんが映画作りとしては、女の子と恋愛してる同世代の男の子にはどれだけ憧れがあったことだろう。そして当時は、そんなことをどれだけ思っていてもそれを表現できないという思いに捕らわれただろうか?なんか本作にはそんな宮崎駿のかつてのルサンチマンが詰まっているように感じてしまう。

 でも、老境に入り、国際的にも有名になった時、こういう“こうありかった理想的な自分”の作品を作ってみたい!と思っても無理はないんじゃないか?

 しかも自分で作るのはやっぱり恥ずかしいから息子に作らせようと言う気持ちも。そう、かつて自分では作らないと宣言して作らせた『耳をすませば』と同じパターンだ。しかも自分で作らないからこそできる、ベッタベタに恥ずかしいシチュエーションも使える。いみじくも劇中俊が「安っぽいメロドラマ」と言っていたが、まさにどんだけベタなシチュエーションだろう。

 この「安っぽいメロドラマ」というせりふに吾朗監督の本音も込められてた気もする。むしろここでの台詞は、「なんてもん作らせるんだよ。親父」というのが一番正しい台詞だったんじゃないか?

 色々裏を考えてみると、やっぱりニヤニヤできる作品であることは確かだ。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)chilidog Orpheus[*] カルヤ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。