[コメント] ドクトル・ジバゴ(1965/米=伊)
もちろん外れてることもあるわけで、観てればだいたい当たってるか外れてるかはわかるわけだ。そういう意味で、この映画は僕好みの映画だった。
例えば初めの方のシーンで、クロパトキン(なんて名前じゃなかったな。なんだっけ?)が愛人の娘・ラーラに初めて女らしさを認めて、年齢を聞く場面があったでしょう。「ほう。いくつになった?」「17です」 そこらにあったレース布を手にとって、彼女の顔に捲きつけ、彼女の美をためつすがめつする。もちろん彼は、自分の威勢が彼女に及ぼす影響力を推し量って、彼女は何も抵抗できないと判断した上で、そんな傍若無人な振る舞いに出てるわけ。でも、彼のなすがままになってるラーラの心境はどうなのか。
彼女は彼女で、クロパトキン(じゃないっつの)が自分に女らしさを認めたことを見て取った。もちろん年頃の娘だから、街を歩いてればそういう視線を感じる機会もあったろうけど、礼儀の正しい社会ではそんなこと面と向かって表明する奴は少ないからね。逆に言うと、視線を受け止める機会もない。彼女にとっても、初めて正面から受け止める男の視線だったわけ。そこで逃げてしまう女の子もいるのかな。でも、彼女は受けて立ったのだね。最後には彼女も避けようとしたけれど。少しだけ勇気があった、あるいは冒険心に富んでいた。どっちにしても、クロパトキン(もういいや)はそれを罪だと言ってたけど、別に罪じゃないよ。彼女は別に男を誘惑しようと思って美しく生まれついたわけじゃない。彼女に美を見い出して近寄ってくるのは、まったく男の方なんだから。
長い映画だから、こんな調子で書いてたらきりないね。これを要約するに、デビッド・リーンという映画監督は、歴史を語れる人。この映画では、男女の恋愛を描いて歴史を語っている。
※クロパトキン 正しくはコマロフスキーという役名でした。
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