[コメント] ダークナイト ライジング(2012/米=英)
前作では悪の形而上学という能書きを垂れながら映像を見せるという、まだまだ終結部には遠い中盤部としての映画づくりが可能だった。そんな余裕の許されない、まとめあげる第3作の役割は逃げ切りのためにホームランを打つしかなかったと推察される。結果は大成功である。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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悪も善も単純な形象に戻され、ドンデン返しもクラシックなまでに基本に近づき、相互不信も孤立化も登場するがそれ以上に団結と誠実の価値に立ち返る。上に向かって投げられたボールが自らの重みで落ちてくるような自然さで、ストーリーテリングの終幕に戻ってくる。
この段階でできることが限られている。プロジェクトのむずかしさは想像以上のものであったはずだ。クリストファー・ノーランはなりふりかまわない逃げ切り作戦を敢行する。
アン・ハサウェイおよびマリオン・コティヤールという名花二人を一挙に投入してストーリーの複雑化の役割を背負わせ、戦闘シーンを個と個のそれから市街戦としての集団戦に変え、見せる戦闘兵器を道路を走るものから空を飛ぶものに変えてより魅力度の高いものにしたのである。
この流れ、皆さん思い出さないか。『ロシアより愛をこめて』で第1作以上に大人の作品にすることで大ヒットを飛ばした007シリーズが『ゴールドフィンガー』で単純化に回帰して見せ場をど派手にしたあの流れを。囚われの主人公、ガジェットの壮大化、戦闘の集団化、見事な相似だ。大ヒットの法則は時代によらず一定なのだろうか。
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