[コメント] 巨神兵 東京に現わる(2012/日)
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ところで、映画において「強大な破壊者/侵略者」は単数か複数か、どちらが好ましいだろうか。各作品が置かれる状況はまさに千差万別だろうから、むろん一概に答えることはできない設問だが、ともかく『巨神兵東京に現わる』の破壊者たる巨神兵はまず単数として現れ、ややあってから複数体が登場する。これはまったく私個人の感じ方にすぎないかもしれないと断りを入れた上で云えば、一体の巨神兵が東京上空を覆い、また破壊の限りを尽くすさまに覚える興奮/恐怖や謎に比べると、多数の巨神兵に対するそれには若干の落胆が忍び込んでいることを否定できない。おそらく「多数の破壊者」に対してのほうが絶望の度合いは大きいけれども、そこでは「一体の破壊者」が持つ「何か」は損なわれてしまっているのだ。その「何か」を、ここでは仮に「浪漫」と呼んでみたい。すなわち、一個の強大な破壊者なり侵略者が活動するさまには浪漫がある。そして巨神兵はたとえ一体でも絶大な破壊力を有しているがゆえに、却ってそれが多数現れたとしても付加されるのはせいぜい「もうどうもならんわ」という投げやりな絶望感でしかない。このような感じ方には「オリジナル・ワン」に対する素朴な憧憬(という名の価値判断)も影響しているだろう。同種の個体が多数存在しているということは、それが複製/増殖/量産可能であるということだ。オリジナル・ワンが持つ価値=唯一性(稀少性)・代替不能性、それは一面で「存在の謎」でもあろうが、それこそがここにおける浪漫の源泉のひとつであるに違いない。
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