[コメント] 巨神兵 東京に現わる(2012/日)
綾波的亡霊的独白、質量感のない破壊、世界の薄味な実在感などの不評要素は、『シン・ゴジラ』と対をなす「破壊を現実として実感出来ない現代的東京の気分」と解釈した。終盤の爆破連打はほとんど夢の中の出来事のようだ。ダラダラと延命する世界、その「終わり」の手触りの希薄さ。成る程、これも一つの「東京」ではないかと。(渋谷から破壊されるというのが良い。)
破壊の美学と痛みの二律背反で観客を引き裂くなら、相応の「演出」と「時間」が必要で、よほどの仕掛けを思いつかないなら、短編という制約の中では、この独白形式や亡霊的物語は戦略的としてはありなのではないかと思いました。
ところで、「キャストー巨神兵ー宮崎駿」で吹き出したのは僕だけではないと思うのですが、本当に庵野meets宮崎駿で観たいのは『シン・ナウシカ』なんだよなあ、と改めて思う今日この頃です。
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