[コメント] ザ・マスター(2012/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
最初マスターは悩めるフレディの心を開放して救おうと思っていた。
しかし、マスターはそれは間違いだったと気づく。
フレディに足りなかったのは心のコントロールであって、 フレディの心はすでに解放されていたのだ。
フレディの自己の解放は、マスター自身を超えている事はマスター自身わかっていた。
いずれはフレディが自分の元を去っていく事、
そのつなぎとめる術は心のコントロールだと言う事をマスタは良く理解していた。
だからこそ、マスターはフレディの心のコントロールに全身全霊をかけたのだ。
一時は上手くいきかけてセッションも少しずつ上手くいかなくなる。
2人の心の溝が少しずつ広がっていく過程で、バイクに乗るシーンがある。
広大な大地でバイクに乗るフレディ。
どこまでもどこまでもかけていく。全てを捨て去るように。
マスターはフレディの名前を叫ぶ。叫ぶことで彼を自分の元に繋ぎとめるかのように。
あのシーンのフレディの自由な姿とマスターの焦る姿の対比が素晴らしい。
マスターがフレディの心のコントロールが出来なくなった時、
二人は別れるしかなかった。
有る側面ではお互いがお互いと必要としていながら、
有る側面ではお互いがお互いを必要としていないのだ。
数年後二人は再開する。
ここのシーンはマスターはフレディと共にやっていきたいという思いがあふれている。
だけど、自分と一緒にいる事で、フレディはフレディらしくいられない事もわかっている。
自分の思いを押し殺し、マスターはフレディのマスターとしての最後の仕事、
彼を自分の元から解放してあげるのだ。
フレディが心の解放がされたまま、心のコントロールができる日を信じて。
その時はフレディが自分超えるマスターになっているという確信をこめて。
PTAの映画はいつも深く、深く心を揺さぶる。
もしかしたら、私のマスターはPTAなのかもしれない。
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