[コメント] 千年の愉楽(2012/日)
高良、高岡、染谷らのアクが弱く、血と土地の呪縛が滲まない。確かに高良は、えも言われぬ色気を放つが、性の生臭さが足りず「運命の不気味」にまで達しない。肝心の「路地」の景観にも魔力がない。のっぺりとした平成仕様の作りでは、この土着物語は成立しない。
本作で描かれる男たちの生き様は、みな予定の範疇を逸脱せずヤワである。例えば、『祭りの準備』の原田芳雄や『赫い髪の女』の石橋蓮司、さらに『さらば愛しき大地』の根津甚八といった男たちが体現した、土着性が醸し出す凄みや悲哀に遥かに及ばない。昔はよかったと過去を懐かしむつもりは毛頭ないが、やはりこの物語に足りないのは「昭和」の空気なのかもしれない。
さらに、差別の歴史に虐げられた土地である「路地」と呼ばれる集落のロケーションも魅力に乏しく、何も訴えかけてこない。物語の時代は限定されていないが、おそらく意匠から昭和20〜30年代なのだろう。低予算映画の宿命ながら、画面に写り込むブロック塀やアルミサッシの窓枠、鉄パイプ製の柵、ガスや電気メーターといった造作物が時代性の矛盾を増幅して、物語にのめり込めないもどかしさを感じた。
決して、無いものねだりをしている訳ではない。骨太の演者からほとばしるパッションや、意志を持って力強く的確に切り撮られた風景は、低予算のアラや矛盾など消し去ってしまうものだ。そんなこと若松孝二は百も承知のはずだ。そうやって、独立プロの映画は存在を誇示し続けてきたのだから。
あと、写真はしゃべらな方がいい。
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