[コメント] 合衆国最後の日(1977/米)
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中盤までのスリルある演出も良いが、本作では誰が見ても、犯人の求める公表と犯人脱出の順番が逆だろと思うのではないか。何だって核ミサイル基地を脱出する前に大統領に公表させないのか。それはそうしないと、この順番でないと物語として成り立たないからだろう。
ただのサスペンスなら、ある程度目的を達した犯人がいよいようまく逃げ切れるかどうか、逃げ切れずに捕まるなりしてしまうのか、それともいったんは逃げ切ったものの思わぬどんでん返しで捕まったり、といろいろなパターンがあるし、これだけの演出の技術があればパターンの如何にかかわらず優れたサスペンス映画として完結させられるだろう。
しかし本作で描いているのは、そういう逃げ切れるかどうかという物語ではそもそもないということだと思う。そしてこの展開の物語にしないと描けないものを描くために、あえて公表の前に大統領を人質にして脱出を図らせることが必要なのだろう。
それは合衆国政府を構成する首脳部は、例え大統領を見捨ててでも自分たちの利益、自分たちが「国益」と考えるべきものを守る、ということではないのか。人質が大統領であっても、秘密を守り自らを守るためなら犯人もろとも死んでも構わない、合衆国政府がそういう政府になっていくということを予言するための映画なのだろう。
しかもその政府首脳部の面々の中で、アメリカ国民から選挙によって直接選ばれているのは大統領ただ一人なのだ。ラスト、大統領から「約束を守ってくれ」と言い残された国防長官は無言のままであった。本来、国民から選ばれた大統領によって任命された者たちが、自分たちの利益のために大統領を「使い捨て」にするようになる、そういう時代の到来を描いた映画だからこそ、まさに「合衆国最後の日」はふさわしいタイトルだと思う。
また大統領役を演じたチャールズ・ダーニングは堂々たる好演だと思う。終盤になって見せる貫禄と苦悩、人懐こいところなど、いずれもいかにも大統領らしい風情が漂っていた。
原題の「TWILIGHT'S LAST GLEAMING(黄昏の最後のきらめき)」は、大統領が公表するかどうか苦悩し、また以前の政権の過ちのために自らが犠牲になるという理不尽さに恐怖するという、実に人間くさい振舞い、それもごくまっとうな理性的で常識的な人間のそれを指しているようにも思えた。
余談だが、終盤、主人公と二人きりになった相棒が「大統領も使い捨てにされるのさ」という台詞の際、彼は「エクスペンダブル」という単語を使用していた。それを聞いてつい、「そうか、いつかはスタローンも『エクスペンダブルズ』5とか6とかでは、アメリカ大統領になって使い捨ての大統領だとかそんな映画を撮るかな、とふと思った。けど直に、そうなったらこの大統領はとても不可能に思える核ミサイル基地内に立てこもるテロリストを超人的な弓矢とかで打ち倒しそうだな、その無謀さをいさめられて大統領を辞めさせられる程度の話になるか、と思い直した。
またケビン・コスナーの『JFK』では、ケネディ暗殺を扱い、それを大統領を暗殺することで時の政府の政策を変更させたある種のクーデターだという解説をしてみせた。なるほどそういう見方もあるかもしれないが、それはある意味では大統領の重みをそれなりに尊重した立場でもある。
ところが本作では、自分たちの活動を守るために大統領が死んでもいい、と政府首脳は公然と述べるのだ。大統領が公表を示唆し「開かれた政府を」と口にしたのに対し、CIAや国務長官にそんなことをしたら自分たちの活動は成り立たないと述べさせている。こうしてみると、先鋭的なのは果たしてどちらであろうか、ちょっと興味深い。
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