[コメント] 終戦のエンペラー(2012/日=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
日本における終戦前夜から終戦直後という時代について描いた映画は山のようにあるが、その大部分は、小市民もしくは海外で戦ってる兵隊が味わった敗戦というのが大部分(今年の映画だと『少年H』(2012)がそうだ)。軍部や天皇について描いたものは、日本国内だと、一瞬会議の様子が出るとかだけで、踏み込んだ作品はほとんど存在しない。私が知る限り、例外は『日本のいちばん長い日』だけだ。海外に目を転じれば、ソクーロフが『太陽』(2005)で、まさにこの時の天皇の様子を描いた作品を作っている。激動の時代であるに関わらず、数の少ない事象に焦点を当てて制作にこぎつけたのは誉めて然りであろう。
それで日本の敗戦直後から始まる本作は大胆な挑戦が3つ存在する。
一つには本作の主題ともいえる天皇の戦争責任について。
これに関しては戦後からこっち、一部を除き、まず議論される事はない問題だった。歴代の国会においてもこれは注意深く取り上げられず、暗黙のタブーとなっている訳だが、これについて直接言及した作品が出たということは評価出来る。結論が曖昧なままで構わない。こういう事実があったのだ。と言うことを知らしめる必要性があるのだ。幾重にも張り巡らせたヴェールに手を突っ込むその姿勢には感心するし、それを主観をさほど交えずに淡々と描写したのも評価できる。結論は全く述べられていない。
二つ目は主人公フェラーズと日本人の恋人アヤについて。
主人公は八方手を回して安否を確かめるが、死の暗示はあるものの、これについても結論は避けられている。一応静岡の爆撃によって死んだとは思われているが、はっきりとした結論は語られていない。
三つ目。これがあるいは本作のメインテーマなのかもしれないが、アメリカ人が日本の精神性について理解できるのか?という部分。
これは相当踏み込んだ話が展開する。それは服従を示すために背を向ける軍隊の姿(そんなのが本当にあったのか私にも分からないけど)、アメリカ人に食べ物をねだりながら、うらぶれた酒場でフェラーズを襲う市井の人々の姿。天皇を取り巻く侍従や軍部の人々との話し合いの中で。そして過去アヤ本人やその伯父との語らいの中で、度々主人公が味わう事になる。これらの話し合いで何が分かったか?というと、やっぱり“よく分からない”。というところに落とし込んでいる。
そしてこれら三つの主題がことごとく「分からない」で締めくくられてるのが特徴となる。ここに登場する何もかもが分からないまま。とんでもない投げ出しっぷりにも見えてしまう程だ。
そして何もかも分からないまま、天皇マッカーサー会談となって物語はいきなりの終わりとなる。これは確かに史実にある程度忠実ではあるが(玉音放送にまつわるエピソードは、あそこまで派手ではなかったし、天皇がマッカーサーに会う決断をしたのはGHQの要請ではなく、天皇側からだったとか、いくつかの改変はある)、これは物語が混迷のままに終わらせないための布石でしかない。かなりのレベルで本作は投げっぱなしでしかない。ドラマツルギー的には下の下の出来としか言いようがない。
こう作らざるを得ないと言われたらそれまでなんだが、これではフラストレーション溜まるばかりだ。決着つけないまでも、物語として完成させてほしかったところ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。