[コメント] スター・トレック イントゥ・ダークネス(2013/米)
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JJは前作『スター・トレック』でそのオタクっぷりを見事に見せてくれた。かなりメタフィクショナルだが、ちゃんとオリジナルに敬意を持って、きちんとつなげてくれていたし、テレビ版にファンとしては大満足な一本で、ほとほと前作は感心させられっ放しだったものだ。
それで今回はその続編となるのだが、ここでは一つ期待感があった。前作はモロに「スタートレック」へのオマージュだったが、ここからがJJのオリジナルとしての一作目となるだろう。さてこれからどんな方向性を見せてくれるか?
…と、思ってた。
まさかこんな方法を使うとは。かなりなんというか、唖然とさせられた。まだこんなオマージュの捧げ方があったのか!
ここではっきり分かったのは、一作目のオマージュはスタートレックはスタートレックでも、テレビシリーズ版についてだった。これはこれで素晴らしいのだが、もう一つ捧げねばならないものがあったか!そう。これはテレビ版「スタートレック」ではない。映画版『スタートレック』に捧げられたものだった。
この作品、見事な程に映画版の描写に準拠してる。
最初の火山でのエンタープライズの活躍(と言うかスポックの活躍)は『3』のものだし、その後のメインストーリーは『スター・トレック2 カーンの逆襲』(1982)に準拠してる。最後のスポックとカーンの追いかけっこはおそらく『4』からだろう。劇中カーンの名前が明らかになった時点でその辺「なるほど!」となるのだが、その瞬間こそ興奮するものの、それが解ってしまうと多少気持ちが冷める。こうなると、物語そのものよりもどこにかつての劇場作品と関わりがあるのか?と言う部分に興味が移ってしまい、素直に物語を楽しめなくなる。
その最たる部分はカークの殉職シーンだろう。放射能汚染の部屋に独りで入ってエンタープライズを救うのは『スター・トレック2』でスポックがやったことと全く同じで、最後にガラス越しに手を合わせるシーンまで同じ。これはやりすぎ。本来一番感動するはずのシーンがパロディになってしまい、泣けるより笑えてしまう。これは大きな問題じゃないか?
物語そのものは充分に魅力的ではあるのだ。だが、そこに明らかなパクり要素を多数入れてしまったことで気持ちが冷めてしまう。
JJがスタトレ好きなのは前作観るだけで充分分かるが、その“好き”と言う気持ちを“俺の作品”として自信を持って提供して欲しかったし、それを受け止めて新しいスタートレックサーガに思いを馳せるような気持ちにさせて欲しかった。それが残念でならない。JJには既に充分すぎる実力がある。一介のファンに留まって欲しくはないものだ。
もう一歩踏み出すのを恐れたか?それともまだ「俺は一介のトレッキーに過ぎない」とか言うつもりか?少々JJに幻滅を感じてしまう。
ただ、物語性や演出と言った重要な点はきちんと水準以上にはまとめられているのは確か。
単に派手なだけでなく、きちんと一人一人の個性を際立たせた細やかなドラマを作り出し、戦いとなったら戦ってる一人一人の実力の差も見せつけてる(短いシーンで桁違いのカーンの強さをきちんと描写出来てる実力もたいしたものだ)。スタトレ恒例のコクピットの横揺れ描写とか、工場のような剥き出しのエンジンルームとか、細かいところで「これはスタートレックだ」と主張してるのも微笑ましくてよろしい。
オリジナル版よりもやんちゃ度が上がったカークもなかなかに魅力あるけど、やっぱりスポックが良い。前作と比べても、根本的なところでカークをしっかり信頼し、そのサポートしようとする姿がなんとも好みだ。なんだかんだでこの作品、カークよりもスポックの方が画面に映ってる時間長いし、ラブストーリーまで用意されてる。本当にJJ、スポック好きなんだな。
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