[コメント] そして父になる(2013/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
個人的に言わしてもらえれば、家族を作ること、家族を再生させることをテーマにした映画はモロにツボであり、まさにこれは観なければならない作品と思ってたが、まさしくこれが観たかった!というもので設定としては大満足。
ところで家族の再生を扱った場合、二つの方向性がある。一つは、一度壊れてしまって、修復不能に見えた家族を、努力によって修復していくというもの。『普通の人々』(1980)、『海辺の家』(2001)などがそうだろう。もう一つは、突然家族にされてしまって、戸惑いながら受け止めていくもの。『アバウト・ア・ボーイ』(2002)などがある。又、『クレイマー、クレイマー』(1979)のようにそれを複合的に捉えた作品もある。それらにも様々な切り口があり、立派なジャンルであろう。
その意味において本作を考えると、本作もまた複合的なものとして捉えることができるだろう。
取り違いによって、これまでの家族であったものが一度崩れ去り、本来の家族に戻る。この際新しい家族として一から出直しとなるため、前述した二つの方向性のどちらにも関わってくる。こんなアプローチの仕方があるのか。と、感心できる構成であり、物語にもそれが過不足なく関わっている。最初の設定の良さを十二分に生かした物語となっている。
物語のフローを見てみると、最初、それなりに上手くいっていた家族の様子が、取り違えの事実が明らかになることで、一度家族関係が壊れてしまう。ここでこのまま息子を息子として育てるか、それとも本当の息子を取るか、二つの選択肢が主人公良多に突きつけられる事になる。この時点で良多が考えていることは、かなり単純。間違ったことを正すのか、さもなくば間違ったままで、これまでの家族関係を続けるのか。この二つの選択のみとなる。子供の幸せについても考えはしてるが、それは、社会的な成功者である自分の方に残るのが子供にとっても幸せに違いないと考えているから。金のことばかりを言う相手側の家族のあり方に嫌悪感のこもった目で見ているし、友人から「二人とも引き取ったら?」との言葉に心が揺れるのも、当然自分の方に来ることが正しいからという価値観での発言になっている。
ここでは、自分は間違ってないのだから、自分は正しいという思い上がりの心が見え隠れしているようだ。間違ってないことと正しいことは別物なのだが、そこを履き違えている。
ここまでは彼にとって事態は単純なものだった。「俺は正しい。何故なら俺は間違ってないから」だったのだから。しかしもう一つの家族のあり方を見るにつけ、少しずつその考えが変わっていくことになる。彼から見れば貧しく、向上心もなさそうなその家庭の子どもたちはみんな楽しそうなのだ。その子どもたちに混ざることで、自分の息子まで(今まで見せたことのないような笑顔で)楽しそうにしてる。この辺りから確信は揺らいでくる。更に自分のエリート指向を決定付けた実父の様子を見て、家族とは一体何だろう?と考えるようになっていく。
ここからが本作の本領発揮となる。
実は本作、それに対して明確な答えを用意しておらず、敢えて結論をぼかすことによって余韻を残す構造としている。ここが面白い。構造的には結論を出すのは簡単なのだが、それを避けたことで本作はぐっと面白くなった。最後に良多が慶多に対し、自分自身を「出来損ないだったかも知れないけど、お父さんだったんだ」という台詞。短い台詞かも知れないが、これはこれまで彼が生きてきたことの総括であり、新生の宣言となっていく。これからどうなっていくのかはまだ分からないが、それは観ている側に投げかけられた問いと捉えることも出来る。
果たして子どもにとっての幸せって何だろう?あるいは自分自身が子どもに対して望むものが大きすぎるタイプなのかも?一緒に観た嫁さんからもチクチクと痛い指摘を受けたりもした。最後に慶多に向かって、「(自分が)完全じゃなかった」と語ることで、これまでの自分の人生を総括し、新しく生き直す決断をしてる姿が余韻たっぷりで実に良し。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。