[コメント] もらとりあむタマ子(2013/日)
本当は自分が傷つきたくないだけなのに、あたかも他者への思いやりであるかのように装った「優しさ」が蔓延する優柔関係の不快。タマ子は、そんな群れ社会のウソ臭さを本能的に察知しているのだ。「群れない女子」が深く静かに潜行する日本は決してダメじゃない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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『どんでん生活』(99)、『ばかのハコ船』(02)に始まり『松ヶ根乱射事件』(06)へと連なる山下敦弘・向井康介コンビのコミュニケーション不全ものの系譜なのだが、決定的な違いが「もらとりあむタマ子」にはある。
以前の主人公たちの思考は行き当たりばったりで、ひと所の周りをグルグルと無意味に動き回っていた。そんな彼らには、誰ひとり「味方」はおらず「次」は準備されていなかった。
タマ子(前田敦子)は無駄に考えたりしないし、動いたりもしない。まさに「そのときが来たら動く。少なくとも、今ではない」を実践する。結果として、これは積極的な現状拒絶の実行でもあるのだ。考えも動きもしないからこそ、タマ子には第三者にしてしまいたい父(康すおん)や、母になるかもしれない未知の第三者である女(富田靖子)が発する微細な周波を察知する感性が残されているのだ。
山下も向井も、そんなタマ子が好きなのだ。だから、タマ子には必ず「次」がある。
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