[コメント] 夏の妹(1972/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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フットワーク軽く返還直後の沖縄で1本撮ってしまうスタンスは素晴らしい。ネットでは確認できなかったのだが、多分16ミリで撮って35ミリに起こし直したのだろう。質感を省いて南国の光を取り込んだフィルムは独特の浮遊性があって好印象。俳優では石橋正次がピカイチであり、胸さらけ出すりりィの本気度は今の若手女優に拝ませたい。しかしいいのはここまで。
本作の登場人物には、あなた日本、こなた沖縄、という寓意化が施されている。ここでまず欠点が出てくる。「沖縄人は沖縄人らしく、日本人は日本人らしく」とまで科白で云わせているのに、俳優に沖縄人を配せなかったのは失敗だろう。結果、沖縄語の使用はドキュメンタリーとしてのリアルを欠き、観光案内程度の意味しかなくなった。
さて、ハーフのりりィは当然アメリカだ。沖縄の石橋は日本の栗田ひろみと間違えてアメリカを選択する。栗田は「沖縄なんか日本に帰ってこなければよかったのに」と云う。親父も兄も取られたのに、アメリカに抗議などしようともしない。この寓意はよく判る。
して結末はどうかと云うと、驚くべきことに大島得意技の議論は何もなく、全員総出でエロ談義、まあ若い頃はいろいろ間違いもありますなあと大笑いの和解があり、栗田の前向きナレーションで総括されてハッピーエンドと相成る。「もう一度来て本当の大村鶴雄君を探すんだ」と本人を前にしての独白はイロニーというよりもギャグのようだし、殺されたい日本人殿山泰司と殺したい沖縄人戸浦六宏は船上で対決し、沖縄が船から転落する。全編ドタバタ喜劇でしたということなのだろう。爽やかな収束で、議論の脱白具合は『儀式』のパロディのようにも見える。
しかし、大島にしてこれでいいの、というのが率直な感想。沖縄返還という目出度い時に細かいことはいいじゃないのワッハッハという笑い声が聞こえてきそうだがそうなのか。栗田のようなキャラで旧世代を一掃しようという意図が見えるのだが、これって過去のことには蓋をして「未来志向で行きましょう」という昨今の政府の紋切型と相似形ではないのか。これを典型的に示しているのが、殿山が石碑の文言を読み上げるのに割り込んで栗田が兄からの手紙を読む件だろう。
沖縄には当然貧困の問題がその根にあるのであるから、沖縄の性風俗の解説とロケでもって当時の「性と○○」路線の肯定性を語るのも脱線ではないのか。ヤマトンチュウが観念的に勝手なことをぬかしている、と云われたらどう反論するのだろう。沖縄のスタッフ・キャストを使ったらこんな内容を撮らせてもらえただろうか。比べれば『神々の深き欲望』はその点真面目だったのであり、本作がATGの方法の限界を露呈したと云われても仕方がないとさえ思う。なんだ、最初は早撮りを褒めていたのに。褒める処がなくなってしまった。
たまたま、本日6月18日はひめゆり学徒隊に解散命令が下った日だった(戦没は明日)。強気の感想はこの偶然に書かされた。
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