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[コメント] 物語る私たち(2012/カナダ)

めっぽう面白い。『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』『テイク・ディス・ワルツ』はともに傑作未満だったものの、やはりサラ・ポーリーの才能は中程度ではまったくない。確かに彼女はこの物語を「制御」しない/できないが(それこそが主題でもある)、自在のエディティングで映画を「掌握」している。
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細部においては異なりも孕んだ語り手たちの証言=物語が、手品か軽業かというような鮮やかな手つきで繋がれて、ぐいっぐいと映画に引き込まれる。これは一本の糸――複数の繊維(=複数の語り手たちが語る複数の物語)を撚り合わせて得た、一本の強靭な糸のような映画だ。という比喩の巧拙がどうであれ、サラ・ポーリーこそが最も腕利きの語り手である。出生と母の謎を巡る探偵劇であると同時に、その謎などというものは、この達者な役者たちによる芳醇なモノローグ劇を起動させるためだけのマクガフィンに過ぎないと見ることもできる。巧みな話術にのみ可能な映画的幻惑に翻弄される。

さて、そもそも両親や自身が俳優であったりするのだから、ここに登場する語り手たちがおよそ平均以上に見目の整った人々ばかりであるのもさほど不自然なことではないのかもしれない。この極私的な物語が果たして映画たりえるのか、という問いに答える以前に、すでに被写体たちは映画的なルックスを備えて「映画」の要件を満たしている(サラの異父兄ジョン氏なんてジョセフ・ゴードン=レヴィットのようです)。

あるいはこのような映画の場合、もっぱら素材そのものの面白さや編集者の仕事に功績を帰して、演出家の能力が不当に低く見積もられがちかもしれない。しかし、実際にポーリー家でかつて撮られたホームムーヴィの断片なのか、ホームムーヴィ風に再現され撮り下ろされたカットなのか(母ダイアンをレベッカ・ジェンキンスが演じている)、俄には判別の難しいシーンがいくつもある。評者としては少々怠慢かもしれないが、この一点のみに着目しても、演出家の演出力はじゅうぶんに証明されていると信じる。

「現実」と「虚構」、「事実」と「真実」、「物語」と「映画」、あるときにはその差異が深慮もなしに自明視され、またあるときにはいとも容易く混同されもする諸概念に息吹を与え、誠実な稚気とでも称すべき態度でそれらと戯れる。さらに云うならば、得意ぶった厭らしさとは掛け離れたところでそれを実現できることこそが演出家と被写体の才能であり、その才能を私は「人格」と呼んでいる。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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