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[コメント] アメリカン・スナイパー(2014/米)

クリス・カイルの死が、映画そのものを変えてしまった。
ナム太郎

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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正直な印象として、今回のイーストウッドの演出には、いつものようないい意味でのいい加減さがないように思った。どこか、何かに囚われているような、生真面目なところがあって、彼には悪いが、「これは彼の映画じゃない」、そんなことを思いながら観ていたものだ。

鑑賞後、その違和感の原因を探ろうとパンフレットの彼のインタビューを読んで、なるほどと納得してしまった。要はこの作品は、物語の主人公であり、実在の人物でもあるクリス・カイルの死によって全てが変わってしまったのだ。

インタビューでイーストウッドは、本作を監督したいと思ったきっかけについて、まず、長距離狙撃の天才であるカイルに興味があったことと、戦友たちから「伝説野郎」とからかわれるほどの狙撃手であったにもかかわらず、家族といたいという気持ちと戦友たちを助けたいという気持ちの板挟みになっていった彼の心の葛藤を「ドラマチック」だと感じ、「映画になると思った」と語っている。

また、本作のプロデューサーでもあるブラッドリー・クーパーが彼に監督を依頼してきたいきさつについてもクーパーが彼の『許されざる者』が好きだと言ったエピソードに触れ、「あれは自分がしてきた人殺しの過去に呪われた男の西部劇だ」「彼は『アメリカン・スナイパー』も一種の西部劇だと思ったのだろう」とも語り、加えて劇中に登場するオリンピッ・メダリストの敵兵を「カイルのライバルが必要だった」と、映画としての物語性を強めるためにわざと大きく扱ったことも明かしている。

つまりこの映画は、映画としての立ち上がりの段階のまま進んでいたら、イラク戦争の「英雄」を題材とした西部劇色の強いいつものイーストウッド映画になっていたはずなのである。戦争を題材としながらも、映画であることが優先される、どこかいい加減な、けれどそのいい加減さが魅力的な、いつもの彼の映画に。しかし、現実はそうはならなかった。その主因は、大変に失礼ながら、クリス・カイルその人の突然の死、そのことに他ならないと思う。

本作の脚本を担当したジェイソン・ホールによると、クリス・カイルと常に話し合い、長年かけて完成した脚本がクーパーたち製作陣に渡された、その翌日にクリスは殺されたそうである。しかし、そんな中、葬儀からまだ数日しか経っていないというのに未亡人のタヤ・カイルは「もし映画を作るなら正しく作ってほしい」と語り、彼女は「僕らの知らない彼について教えてくれた」そうである。そして映画は「変わって」いき、最終的に現在のような形になった。彼女へのインタビュアーが「この映画を通して、私たちはどんなことを学ぶべきでしょうか?」と聞くような映画に。

誤解のないように言うと、私はクリス・カイルの死も本当に痛ましく思っているし、彼の未亡人の思いに関しても遺族としては当然の思いだと思っている。さらにいうと、この最終完成版も決して悪い作品ではないと思っているというか、いやむしろ近々に公開された作品の中ではよく出来た作品だとも思うのだ。大変な状況の変化の中、それでもクリス・カイルを演じ切ったクーパーの存在は賞賛に値するし、妻を演じた シエナ・ミラーも本当に素晴らしかった。がしかし、がしかし、これは決して私が愛する「イーストウッドの映画」ではない。その1点のみが本当に残念なのである。

非常に偏った観方をすると、多くの方が「さすがにあれはないだろ」と問題にしているクライマックスにおける銃弾のCG処理についても、あれは「自分の映画」に出来得なかったイーストウッドのせめてもの抵抗としての「遊び」なのではないか、私はそんなふうにも思ってしまっている。もちろんそんな考えが正しいとは思ってはいない。けれど、そんなふうに思わないとやれきれない思いを抱いている彼のファンがここにいるのも事実なのである。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)週一本 緑雨[*]

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