[コメント] ヴィンセントが教えてくれたこと(2014/米)
隅から隅まであざとく、ランドール・ポスター印の挿入楽曲にもそろそろ辟易したいはずだのに、やっぱりまんまと感動してしまう。ビル・マーレイが期待通りに適役である一方、ナオミ・ワッツとメリッサ・マッカーシーは芸域の拡張ぶりを披露する。ユーモアを滲ませた教師役クリス・オダウドの造型もいい。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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さて、これを「教育」の映画と呼んで差し支えないと思われるのは、ここにおける教育が「教育者」と「被-教育者」の立場を流動的なものとして捉えた(マーレイが発語リハビリテーションに取り組むシーンが象徴的でしょう)、相互に影響を及ぼし合う体験であるからだ。少なくとも教育者と被-教育者の立場が固定的かつ影響が一方通行的であるような教育は、映画がどうしても描かなくてはならない「教育」ではない。その点から云っても、全篇がいささか定型に収まりがちなこの映画にあって、マーレイおよびジェイデン・リーベラー(ジェイデン・リーバハー)少年に対してそれぞれ独自の仕方で働きかけて人間関係の重層化に与るワッツは、いっそう重要な布石である。
また、クライマクスの学習発表会シーンが感動的であったとして、その感動の源泉はリーベラー少年がマーレイを聖人に「認定」し、それを衆人に「発表」することにある。むろん、少年が発見したマーレイの善性は、大々的に発表してみせるよりも彼の胸の内に秘めておいたほうが奥ゆかしいだろう。しかし実のところ、少年の発表内容とはマーレイの関係者への取材によるものであったことからも明らかなように、マーレイの善性なるものはもともと周知だったのだ。云わずもがなの事柄を口外しない美徳もある一方で、敢えてそれを公言することの感動もときに存在する。
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