[コメント] 鰯雲(1958/日)
誰と誰が親子で誰と誰が兄弟姉妹なのか、人間関係というより年齢関係が腑に落ちなかった。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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農地改革で零落した元地主農家の主人(中村鴈治郎)に、成瀬好みの(?)頑固な明治人を見る家族劇。
抗いようのない時代の波に、それでも抵抗を示さずにはいられない、旧世代人の心根を描いてきた成瀬だが、中村の生まれ持つある種の上品さは、生まれながらの農村住人に見えることを妨げるし(そう見えることが必要な役柄なのである)、都会的な美しさを持つ(とどうしても見えてしまう)淡島千景にモンペ(?)をはかせたところで、農婦として違和感はぬぐえない。ラストの耕すシーンも、思いを寄せた男に別れも告げずという重要なシーンであるのだが、耕運機(?)を扱う淡島の手つき・腰つきはぎこちなく危なっかしい。こういう情景演出上の甘さ・ゆるさは、成瀬の作品では本来珍しいことである。
・・・といったビジュアルからの印象も強いわけだが、農村集落の情景を絞り取ることは、都会人・成瀬には若干手に余るのかな、と感じさせられた。もっとも『石中先生行状記』あたりでは難なくこれをやってのけていたから、この映画自体が時代状況を反映しちゃっているのかもしれない(あれも若山セツ子の眩しさ、というか『眩しすぎる』さなんかは、たっぷり非農村的だったけど)。
いずれにしても、あざとさを廃した成瀬映画の在り方が好きな私には、充分楽しめました。あとご自身でもおっしゃてるだけあって、司葉子の鍬を振るう姿はさすがに堂に入っていた。
75/100(08/02/24記)
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