[コメント] ドリーム ホーム 99%を操る男たち(2014/米)
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他方、ガーフィールドの母親を演じるローラ・ダーン。まことに勝手ながら、この『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』は『きっと、星のせいじゃない。』『わたしに会うまでの1600キロ』に後続する母ローラ・ダーン三部作の掉尾と今しがた定めさせていただいたので、くれぐれもご承知おき願いたい。どのようなキャラクタをどれほど器用に演じようともデヴィッド・リンチ作品の強烈な印象が拭いがたく付きまとっていたかつてからは想像できないが、この三部作におけるダーンは母親という属性に特有の「強さ」と「弱さ」を余すところなく兼ね備え、今後ハリウッドに屈指の母役女優として重用されるだろうと強く予感させる。
さて、題材的に隣接する『カンパニー・メン』や最近作『マネー・ショート 華麗なる大逆転』をあらためて例に引くまでもなく、転んでもただでは起きないというか、ひとたび商機ありと見るや何事であれ映画の材料に落とし込んでしまうのはアメリカ映画界のおぞましくも逞しき商魂と云えるが、マイケル・ムーア『キャピタリズム マネーは踊る』が二〇〇九年の作(日本公開は一〇年)だったことを想えば、時事映画としての『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』はむしろ「遅い」。あるいは、遅さに見合った劇映画的熟成を伴っていない。というのは、たとえば以下の点についてである。
ガーフィールドの動機・目的であるところの「家を取り戻す」は、アメリカ映画の主要主題「家に帰る」の尖鋭的変奏だが、ここで留意すべきは、その「家」は彼にとってあくまでも「ある特定の家屋」に尽きるということだろう。しかし、何の変哲もない/平凡な/どこにでもある「家屋」が、代えの利かない/世界で唯一の/何としても取り戻すべき「家」であるという彼の執着が、じゅうぶんに家屋に演出されているとは云いがたい。おそらくこの演出家は童謡「背くらべ」を聴いた経験を持たないのだろう。〈はしらのきずは おととしの 五月五日の 背くらべ ちまきたべたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ〉すなわち、ガーフィールドの息子および幼少時のガーフィールド自身の背の丈を刻み記した柱の傷を示すだけでも、「私たちの『家』はこの家屋でなければならない」という彼の動機・目的の拠りどころとなる家屋の「年輪」、ならびに彼の転向(豪邸の購入)が帰結する失敗を説得的に現わせたはずだ。
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