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[コメント] アズミ・ハルコは行方不明(2016/日)

ポジティブな逃避、あるいは限りなく緩い反逆。「消えちゃえば?」と、屈託なく愛菜(高畑充希)に言い放つハルコ(蒼井ゆう)は迷い人を悟りの世界に導く菩薩のようだ。大胆に交錯する時間軸が切り結ぶ先に浮かぶのは空疎で薄っぺらな男社会の規範と偏見。
ぽんしゅう

規範と偏見の亡霊は、うわべだけは平等に見えるようになった空疎な円満社会のもと、密室で凝縮され濃度を増し、セクハラ親爺の無自覚な陰口として下品な鈍器となって、あるいは非正規といういびつな均衡のなか、肥大化した承認欲求を抱え込んだ若者の、焦りや諦観となって、社会の底に沈殿している。

そして、世のなか澱のようなセクハラ親爺は、三十路女(山田真歩)の密かな復讐に気づくことすらなく、内向きの偏見スパイラルを下降し続け、夢遊病者のように浮遊する若い男どもは、女子高生(花影香音)たちの標的として、完膚なきまでに叩きのめされ、地べたに這いつくばるのだ。

それは、平等や解放が合意化されたように見えつつも、偏見と蔑視が意識の底辺や社会の吹き溜まりで、濃縮され、目に見えぬ真綿となって、いつのまにか魂を締め付けられた女たちの逆襲だ。

アズミ・ハルコもまた、そんな「在りずらさ」の環からから蛇が脱皮するように、するりと「行方不明」になってみせた。2010年代の、日本社会の有りようを象徴する、女性映画の傑作。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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