[コメント] ある精肉店のはなし(2013/日)
脳天へ一撃くらい、命ある存在から他者の命を育むべき食物へと牛が転生するさまは、神々しい陶酔感に包まれる。「生から死、そして新しい生」を導き出す儀式に没頭する者たち。彼らは神の畏怖を代理して、さらには人の業を代行して肉塊と格闘していようにみえた。
最も「生命」の畏敬に近しい場所で日常を過ごし、禄を食むということ。その根本原理のピュアさを忘れた、いや忘れようとする、我々(すなわち人間)の業の深さを痛感させられる。
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