[コメント] やくざの墓場 くちなしの花(1976/日)
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黙ってられない軟弱な俺。
俺も「中学を出ただけやさかい、使いものにならしまへんやろ」な世の中は間違ってると思う。正直言って、暴力団と県警組織の双方と接触を保ちながら、よくぞここまで描けたものだ(どちらにも遠慮せずに、の意。多少は配慮しているのかもしれないが、わからない)とも思う。だが、安っぽい情に流されることを極力排除し、少なくとも話の進行の上では嘘をつかないことから生まれる“リアリティ”が深作作品の身上だったのに、処刑執行という、カタルシスはあるが現実味に乏しい主人公のヒーロー化による締め括り方は、哀れなくらい陳腐で、逆にもともと「仁義のない闘い」からドラマなど生まれないのだ、という悲しすぎる本質をさらけ出してしまった。
手形の振り出しや資金繰りの困窮に触れるなど、抗争の動機でもあり基盤ともなる「経済」について描こうという試みも多少見られなくはない。だが、それを中心に描こうとしない以上、もはやここからドラマは生まれない。東映が、経済は描かないという選択をしたのなら、この後「実録路線」に走るのもむべなるかなだが、任侠映画の枠組では許される“同工異曲”も、「実録」というある種のグローバルスタンダードに下りてしまえば、もはやパクリ、いやその遊び心のなさはパクリ以下である(そこまでひどくはないかもしれんが)。
これは、任侠映画に行き詰り、“仁義なきシリーズ”を始めたときから運命付けられていたとも言える。スクリーンの上にさえ存在しなくなった“任侠”を、「もうそんなものはないんだ!」と言いきる形で逆説的に描いた“仁義なきシリーズ”が任侠映画の徒花とすれば、その後に続く『県警対組織暴力』やこの作品(見てはいないが前作『仁義の墓場』もイイらしい)は、徒花の徒花であり、これ以上ここから花実が咲くことはないだろうと思わせる悲しさが漂っている。tomwaits氏のおっしゃる「本作の登場を以って東映仁侠映画はその10数年に及ぶ歴史を自己完結させた」は、卓見であると思う(「実録路線」という言葉の使い方が氏とはちょっと違っているみたい。私自身はよく知らずに使っている)。
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渡哲也はいい表情作るね。当時35歳。男はこの年代が一番かっこいいのかな。20代では若すぎて頼りない。40代では年寄りの匂いがしはじめる。「青年」と呼べる最後の時期。高倉健も菅原文太も、三浦友和(だいぶ飛ぶが)でさえも、この年齢の頃が一番かっこよかった(あまり数を見たわけではないので、この先意見が変わるかもしれないが)。
それに対し梶芽衣子が29。ちょっとふくよかさがなくなって、もともともっているとげとげしい感じがあらわになってきちゃったが、充分いい女。俺の持論では女が最も綺麗なのは28、そのまま35まではなだらかに推移、36を過ぎると、・・・と、ここから先こそ言わぬが花だね。
80/100(02/07/07見)
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