[コメント] 殺しの烙印(1967/日)
この映画には何より説得力がある。自己の表現物に対する確固たる自信がある。照れとかオマージュとかそう云った無粋な供雑物の無い、ありのままの純粋な無意識性=シュールレアルに心底惹かれる。
シュールレアルを志向して、自己のイメージを捏造する作家が跡を絶たない。シュールレアルとは夢であり、無意識であり、眠りかけの記憶であり、交じり合い溶け切らない集団の意識である。それらの集合体である。常人が想像した狂人の夢、などという様式化されたスタイルなどではけして無い。自らの内面に浮かんだイメージを、こちらの方がシュールっぽい、などという作為で塗装し作り変えてしまう作家に、シュールレアルを志向する資格など無いのだ。
本物は日本には鈴木清順と大和屋竺しかいない。しかし、それだけで充分だとも思う。かと云って、新たな才能の出現を絶望視しているわけでもないのだが。
*個人的に寺山修司は意味から離れようとしない、或いは離れられない、象徴主義者であると決め付けているから、やはり上記の二人だけだ。
*スタイルばかりを模倣して、何故、「具流八郎」という、シュールレアルを志向するには打って付けの、画期的な発想を取り入れる後人たちが出てこないのか、全く持って謎である。
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