[コメント] 殺しの烙印(1967/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
当時はダメだったろうよ。正直に言おう。今でもダメだぞ(笑)
死にたい女と何がなんでも生きたい男。
異常な性欲、食へのこだわり、仕事としてそして生きるための殺し、これら全て獣のように本能むき出しで生きる男の象徴。 おそらく女はそういった男の対比として(一方では性欲表現の材料として)登場しているにすぎない。
そういった意味で、一人の男の生き様(死に様?)を描いた、とってもとっても婉曲なハードボイルド。
さらに拡大解釈をすれば、時代の象徴ともとれる「理論的でスマート」なナンバー1に戦いを挑む(時代遅れで格好悪い)野性の男という構図も読み取れる。時代の中で死につつある男を描いたハードボイルドとも言えよう。
しかしまあ、それも今だから言える話であって、大和屋竺、田中陽造の名前を知ってるからこその解釈であることは間違いない。“女と水のイメージ”“骨”というモチーフは後に清順&陽造が『陽炎座』でも用いているし、“セクシャル&バイオレンス”“剥き出しの本能”なんて「イヨッ!大和屋!」ってくらいのもんだ(これで荒野が加わったら完璧。だいたい何で唄ってんだ?)。
こういったテーマが見えてしまったが故、「こんな演出でいいのか?」って気がしてしまう。 ネタバレではないにせよ、これも後に観た者の不幸なのだろうか?
後の爛熟した清順演出のファンとしては、粗削りな源流(もっとも昔からこういった傾向の一端は垣間見せていたけど)を楽しめはし、映画史に残る映画(名作としてではない)を観られたわけだが、ちょっと評価されすぎの感も否めなくはない。典型的なカルトムービー。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。