[コメント] 女は二度決断する(2017/独)
世界に蔓延するやっかいな問題に、何ごとか提起しているようで何も語っていない。たとえ対象が家族だろうが、イデオロギーだろうが抱いた思いの「純度」が人の生き方を決定し、ときに対立を生むという矛盾から私たちは逃げられないのに、この女は逃げてしまった。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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〔ご注意〕以降、結末に関する重要なネタバレがあります。
理不尽な暴力にさらされた者が感情的に反応したり、なげやりになってしまうことは理解できるし同情もする。暴力に対して暴力で応酬することの是非をとやかくいうつもりもない。ただし、彼女は生き続けるべきだと思う。
自爆死は暴力に暴力で応えることの免罪符として潔く見えるかもしれない。あるいは暴力の理不尽さと悲しみの深さを訴えかけているように見えるかもしれない。でも、消滅は現実(この物語)からの逃避であり、そこからは何も生まれない。
彼女は生きるべきだった。そのとき彼女は、暴力に暴力で対抗しても負の連鎖を生むだけだと“良識派”の非難にさらされるだろう。あるいは、理不尽な暴力で大切な家族を失った悲劇のヒロインとして世の中の“被虐者”たちのシンボルに祭り上げられるかもしれない。どちらにしろネオナチの報復ターゲットとして命を狙われプロパガンダに利用されることになるだろう。
そんな、人が人であることの(日常にあふれた、それゆえに気づかない)矛盾と悲しみを私たちが自覚したときに、ようやく彼女の暴力は何かを語った(語り始めた)ことになるのだ。主人公(ダイアン・クルーガー)の暴力は、この世界を「その後」も生き続けてこそ意味を得るのだ。
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