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[コメント] 夜明け(2018/日)

過去に苛まれる自棄的な青年に対し、一切過去を問わず自らの身ひとつをもって彼を包み込もうとする工場長の「包容力」はいかにも頼もしい。だがそれが、酷い馴れ合いの延長線上にあるものならどうか。青年は朴訥な若者の役を演じながら、工場長の内心を透視し続ける。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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工場長のやっていることは自慰行為にすぎなかった。青年は自分が見殺しにした男への罪悪感からか、ささやかな幸福のおすそ分けすらも拒絶するため、これを度が過ぎた自虐として見る「撮り方」に騙されれば、観客には頑なな青年に無私の愛情を注ぐ工場長は聖人に見えるだろう。だが彼は青年の潔癖さをいとおしみ、道を指し示してやろうとしたわけではなく、若くして死んだ我が子をトレースしその幻像に頬ずりするセンチな溺愛を向けたのに過ぎなかった。

でも、悪いのは工場長だけではない。この国で罪人の断罪を阻むのは、ひとえにその罪よりも大きな自分との共通点を彼から見出し、自分たち良民の仲間に加えるという許容のしかただ。罪人を裁く冷徹な意識は当然存在せず、それゆえに隣人たちは彼(彼女)もまた人間だ、と認めて罪一等を減じるのだ。結婚式と葬式にはいくら仲間外れでも出席する「村八分」という方法論が日本人のメンタルを何よりも物語る。罪人がこの国で極刑に処されるのは、友も家族もない「人間らしからぬ」人間だった場合のみなのだ。

青年は正義の人ではない。だが善なる保護者のゆがんだ愛情からは逃げずにはいられない。この国の不気味な「村八分」意識が、自分の首をゆっくりと締め上げてゆく気持ちの悪さに気づいたからだろう。「自由」は、孤独という厳然たる意識とコンビになった意識のひとつであるのだから、やはりぬるま湯の大好きな日本人たちにとっては明らかな「悪い」状態なのだ。そんな思いが伝わってくる。

(評価:★4)

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