[コメント] デイアンドナイト(2019/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「ここ、切腹して死ぬシーンですよね?でもこれ偽物の刀ですよね?これじゃ僕死ねませんよね、本物の刀じゃないと。だって僕、死ぬんですよね?」と役者業に行き詰まる「山田孝之の東京都北区赤羽」。 「僕、映画で賞を貰ったことないんですよ。だから賞を目指そうと思って。狙うならカンヌでしょ。あ、僕は出ません。プロデューサーで」と壮絶な犯罪物の主演に芦田愛菜を配役し母親役の長澤まさみにヌードを要求するという「山田孝之のカンヌ映画祭」。 共に山下敦弘と松江哲明が仕掛けたフェイクドキュメンタリーなんですが、ドキュメンタリーのくせに山田孝之の“素”がますます分からなくなるという謎のドラマでした。
でも、なんだかこの映画で、私の中で繋がったんです。
裏方として映画製作に携わる点、意外な「ガチ演技好き」の面、そういった共通項もありますが、この映画のテーマに通じる思想性についても似ていると思ったのです。
この映画はある事柄に対して後からネタバラシをする、その繰り返しの構成なんですが、ネタバラシをしたことで観る側がスッキリするわけではなく、むしろ逆に二面性を見せられてモヤモヤしちゃうのです。 この感覚が、前述した「“素”の姿がますます分からなくなる」フェイクドキュメンタリーと似ている気がしたのです。
物事を一方的に見るだけでは真実は分からない。いや、真実なんてものはそもそも存在せず、ある一つの事実に対して見方が変われば真実は複数ある。 おそらくそこには、役者という「見られる」仕事に対する山田孝之の思いがあるのでしょう。 我々に見せている姿は“役者”山田孝之の姿であって、“人間”山田孝之そのものではない、俺は毎日缶コーヒーばかり飲んでるわけではない、ということなのでしょう。
バスがやってくる所から始まり、バスが去るまでの物語。 街にやってきた男は、ある者から見れば破壊者であり別の者から見れば救世主。 街から去る女は、ある者から見れば贖罪であり別の者から見れば希望。 この映画の描く二面性は、事柄や登場人物の「表と裏」ばかりではないのです。
4年費やしたという脚本は実に秀逸で、この映画のテーマを見事に浮き彫りにします。 こういう映画はちゃんと評価されてほしい。
(19.02.02 シネマート新宿にて鑑賞)
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