[コメント] HELLO WORLD(2019/日)
伊藤智彦監督の身体的な実感、リアリティの欠落は深刻と思う。どこまでも記号的・概念的で、重力や慣性や触感の希薄な世界。「ソードアート・オンライン」も今作も仮想世界が舞台なのだが、その設定が言い訳としか思えないほど身体性が希薄な作品が続いている。
この作品で腕をふるった国宝級キャラクターデザイナー堀口悠紀子が過去に手掛けたテレビアニメ『けいおん!』は回によって出来栄えにムラのある作品だったが、たとえば第1話冒頭では主人公の少女が床に足を滑らせ、ジタバタするがドシンと尻餅をつく、という印象的な場面がある。オレなんか『天空の城ラピュタ』で空から降ってきてパズーの腕の中で魔法が解け「重さ」を取り戻すシータの場面を連想してしまったほどで、身体性の表現としてそりゃー見事なものだった。オレは、ここに大きな問題を感じる。今回堀口悠紀子という共通項があるゆえにハッキリしたのは、こと「スケベさ」において伊藤智彦監督が山田尚子監督に圧倒的な差をつけられているという問題だ。これは御本人がスケベかどうかという問題ではなく、作家としての覚悟、庵野秀明に言わせると「お前はパンツを脱いだのか」という問題なのだと思う。
身体性、すなわち「生きて、そこに本当に居る」感じに決定的に欠けるキャラクターたちがどんなに京都の街を走り回っても、どこか他人事にしか感じられない。観客は彼らを「眺めている」だけであって、一緒に駆けずり回るような「体験」になっていない。狐のお面のザコの皆さんとのバトルや、終盤の怪獣映画的展開にもまったく興奮することがない。むしろ、伊藤監督にお話を進めていただくための仕方ない時間につきあわされているとさえ感じた。これすべて、身体性の欠落に原因があると思うのだ。加えて、キャラクターを将棋のコマのように扱いがちな野崎まど脚本にもいささかの問題はあったと思う。なにもiPhoneを捨てよ野山を駆け回れ原始時代に還れと言うつもりはない。テクノロジーとの関係を通して人間の社会を描きたい監督の趣向と、美少女ちゃんをペロペロ愛でたいスケベさは両立できると思うのだ。両立していただきたいのだ、オレのために。
伊藤監督には「ソードアート・オンライン2」の絶剣さん篇で感動させていただいたことがあり、今後もバリバリ頑張っていただきたいと思っている監督さんだ。パンツを脱いで、もっとスケベなアニメを作っていただきたいと願ってやまないのであります。
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