[コメント] レ・ミゼラブル(2019/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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『レ・ミゼラブル』という超有名なタイトルを冠した映画ということで、ミュージカルでもなければ、有名小説原作でもない、「悲惨な人々(レ・ミゼラブル)」の物語。
予告編を見た印象は、「レミゼ」の舞台となった街で起きる、「人々の蜂起」「民衆Vs権力」という、それこそユゴーのレミゼのように、自由を求める人々が立ち上がり、体制(警察)に立ち向かうようなイメージだったんだが、だいぶ違った。
どちらかといえば、移民、貧困、犯罪、暴力、そういう「るつぼ」のような街での、一触即発の危険地帯に足を踏み入れた新人警官の目で見た物語。体制(警察)といっても、3人だけのチーム。だいぶ「規模が小さい」話だった。もちろん規模がどうかが問題ではないが、予告編でミスリードされたのも確か。
そして終盤になっての核心が、「人々×警察」から、「大人×子供」へと変貌してゆく。そして息をのむような緊迫した場面で、映画は幕を閉じる。
この映画を振り返るにあたって、2つの歌を思い出しました。一つは尾崎豊の『卒業』。「♪夜の校舎窓ガラス壊して回った」「♪信じられぬ大人との争い」「♪この支配からの卒業」と、おなじみの歌詞がならぶ、そのまんまの、抑圧された子供たちが、大人たちに反旗を翻す。
いくつものグループが一触即発のような緊張した中で、大人たちは「損得」「駆け引き」「妥協」で、「落としどころp」に収める。そのためには「犯罪防止班」の警官たちも、強弱付けて、飴と鞭を使い分けて、乱暴な振る舞いもあるが、仮初でも均衡を保っている。予告編では先輩警官は「クズ」っぽい印象だったが、乱暴ながらもちゃんと仕事をしていて、「経験と人脈」で均衡を保っている。そして家へ帰れば、一人のパパの顔になっている。
ところが、子供たちはそうはいかない。常に大人たちに押さえつけられている。損得も駆け引きもなく、直情で行動する。一旦動き出した彼らには「ブレーキ」が付いていない。常に全力だ。居場所を求めて、自由を求めて、尾崎豊的な手法で、警官たちだけでなく、「市長」や「売人たち」へも刃を向ける。これは「子供目線での訴え」→『卒業』になる。
その対極。「大人目線(これは主人公ステファンの、あるいは映画を見る私たち)」の歌がミスチルの『タガタメ』だ。この曲の思い出は、2005年の愛知万博の「赤十字・赤新月館」の中で使用されて号泣した、思い出深い一曲です。「♪子供らを被害者に、加害者にもせずに、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう」この一行に、万博の展示も、この映画も内容も集約される。
この曲の終盤に「♪タガタメニタタカッテ(誰が為に戦って)タタカッテダレカッタ(戦って誰勝った?)」という、桜井さんの叫びがこだまする。この曲の歌詞は、そのまんまこの映画を見た私の感情になってしまった。もし機会があったら、歌詞を見てみて下さい。
期待外れというよりは、思っていたのと違う映画、という感想が強いです
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