[コメント] ホドロフスキーのサイコマジック(2019/仏)
連打される治療(というか儀式)がどれも“いかにも”なイメージで、大仰な音楽と即物的な演出にクスクス笑いをこらえるのが大変だった。ところで作中で提唱される言葉ではなく「触れること」と「行動すること」による精神の解放、ってアンチ映画ってことですよね。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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何がなんでも裸になる(される)。ベタベタ体をさわる(さわられる)。トラウマの核であるモノ、またはトラウマに侵された肉体(内蔵)の疑似物を捨てる。でなければ、子供帰りして過去を疑似体験してやり直す。場違いな姿で衆人のなかを闊歩する。黒か赤か金か銀色に身体を塗りたくる。
基本的に治療(儀式)は、以上のバリエーションの組み合わせ。親を憎むパリのオランダ人(でしたっけ)のカボチャ割り宅配便とか、婚約者が自殺したメキシコ人女性のスカイダイビングとか、吃音男のなりきり子供仮装で遊園地からのパンツ一丁ゴールドまみれは、もうヤケクソですね。
悪い冗談にもみえる、このベタなイメージのしつこい繰り返しは、今までのホドロフスキー映画のハッタリを、ありがたがってきた我々の“空疎な権威主義”をちゃかすギャグ。ということで、この映画は嫌味で意地の悪いコメディだ、という認識でよろしいでしょうか。
いや。マジな話。
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