[コメント] レイニーデイ・イン・ニューヨーク(2019/米)
なんだこの爽やかな肯定感は。良い意味でアレン映画じゃないみたいだ。男と女を描いて相かわらずの“からかい”はあってもかつての皮肉や毒がない。そもそも古今東西、80歳過ぎの爺さんが20歳そこそこの恋愛模様を撮った例を知らない。ましてこんなに面白いなんて。
まったく学校に興味がなく、目の前の女の子アシュレー(エル・ファニング)しか見えていないモラトリアム大学生ギャツビー(ティモシー・シャラメ)。これが70〜80年代のアレン映画なら、まちがいなくギャツビーは、もっと自虐的に自身を投影した理屈っぽくて嫌味なキャラクターとして描かれていただろう。
今回はどうも違う。アレンの化身として登場したのはギャツビーの母親じゃないだろうか。彼女の生きざまにウディ・アレンという非エリート作家が築いてきたの現実主義者としての矜持をみた気がする。このモラトリアム青年への肯定感は、これから彼が歩むであろう人生の肯定、つまり誰がなんと言おうが、もうやり直しのできないアレン自身の人生への(密かな)肯定宣言のようにみえました。それが「Me Too禍」への応えだ、とまでは言いませんが。
それにしても、今どきのニューヨークの女子大生(二人とも)に、あんなミニスカートをはかせるなんて。なんとも能天気なこと。
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