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[コメント] ばるぼら(2019/日=独=英)

リンゴ齧っちゃうとか、いつの時代感覚なんだろう?というか、いまこれを映画化する意味って何だろう?
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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手塚眞作品を観るのは、商業映画デビュー作『星くず兄弟の伝説』以来35年ぶり。ひゃー!ただ、『MOMENT』をはじめ自主映画時代の作品は何本か観ているんですよ。それも35年以上昔の話だけど。ひゃー!

少し原作の話をしましょう。 我が家に原作本がありました。平成4年(1992年)発刊の豪華愛蔵本(<当時流行ったのよ)。 奥付によれば、初出誌は「ビッグコミック」。上巻は「昭和48年7月10日から11月25日に連載」、下巻は「昭和48年12月10日から昭和49年5月25日に連載」と書かれています。つまり『ばるぼら』は、1973-74年の青年向け漫画だったというわけです。

実はこの映画を観ている最中、この映画の(というか原作が描こうとしている)世界観や背景が、安部公房×勅使河原宏に似ている気がしたんです。『砂の女』(64年)とか『燃えつきた地図』(68年)とか。『他人の顔』(66年)含めて「失踪三部作」というらしいですな。ああ、今村昌平の『人間蒸発』も67年だ。 あと、喪黒福造「笑ゥせぇるすまん」にも似た印象があります。90年代アニメで有名ですが、実は藤子不二雄Aの原作は1970年前後に描かれているのです。

つまり、この映画の根底に流れる世界観や背景が1970年頃の「蒸発・失踪」物っぽく感じられ、それが原作に起因するものだった、というわけです。

何故、約半世紀後の2020年にもなって映画化したの?

これが「むかしむかしあるところに」という設定なら、まだいいのです。 ところが、「都会の排泄物のような女」という(原作通りの)クダリから始まり、せわしなく行き交う都会の人の波を切り取ります。 それはもう「今を描いた映画ですよ」、なんなら「この映画のテーマは現代の病巣ですよ」と冒頭から宣言しているように読み取れてしまうのです。 なのに、この映画のどこにも「今」はない。

「お茶くらい入れろよ」という台詞があります。原作にもある台詞ですが、昭和48年なら「お~い、お茶」と言えば奥さんがお茶を出してくれるのが当たり前だったでしょうが、今は時代錯誤でしかありません。伊藤園の商品名くらいにしか思わない。コンビニで買ってこいよ。リンゴ齧っちゃうのも同様。車のエンストも同様。一体いつの時代感覚で撮っているのやら。 もし「いや、原作のままの時代設定なんです」というならば、「ギラギラガールズ」とか写すんじゃない。今ばるぼらが立ってるさくら通りをもっと奥に進んで職安通りを越えた方が少しは昭和的な夜の絵が撮れるぞ。

この話が、現代にも通じるテーマだったら意味があるとは思うんです。 どうなの?いまの日本、『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)のように、成功のためなら悪魔に魂を売るような奴が多いの?失踪三部作のように、急激に成長する社会に疲弊して疾走する人間が多いの? (60-70年代は世界的に悪魔ブームでもあったらしい)。

いや、実は「文学論」「芸術論」が根底にあることは分かるんですよ。 だとしても、もっと大胆に現代的に翻案して、もっと「今」をえぐり取ってよかったと思うんですよね。

ああ、そうか! 本当に「今」の日本を描いちゃったら、鉄腕アトムが飛んでないと辻褄が合わないんだ。

(20.11.22 シネマート新宿にて鑑賞)

(評価:★1)

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