[コメント] トムボーイ(2011/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
なんて素晴らしい映画!
昨年観た『燃ゆる女の肖像』がとても読み解き甲斐のあるいい映画でした。 そのセリーヌ・シアマ監督の以前の作品。日本公開は2021年ですが、製作は10年前の2011年。彼女が32歳頃に監督した長編2作目。
この主演の子役をよく見つけたなあ。これ、1年違ったら身体つきもだいぶ違ってしまったでしょう。奇跡としか言いようがない。 ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」ジャケットの「世界で最も有名な泳ぐ赤ん坊」が性的虐待だか児童虐待だかで30年も経った今提訴したという記事を読みましたが、この子は大丈夫だろうな?カート・コバーンも浮かばれねえな。
『燃ゆる女の肖像』が同性愛の話でしたし、セリーヌ・シアマ自身もそうだということなのですが、私にはこの映画、性同一性障害の話というよりも「少年少女の不安定な季節」の話に見えました。 おそらく、主人公自身にその自覚はないし、監督も具体的な説明を加えません。 むしろ映画は、夏の日差しの中で無邪気に遊ぶキラキラした子供たちを延々描写します。 これはキラキラした「子供」を描いた映画です。 この映画で描かれる「不安」は、彼女特有の自身の身体に対する不安であると同時に、子供なら誰もが抱える思春期の不安でもあるのです。
それにしても、なんて艶っぽい妹!THEオンナ。将来、リュディヴィーヌ・サニエ嬢みたいな小悪魔女子になるよ。 私はこの姉妹を見ていて、萩尾望都「半神」を思い出しました。 そのせいで穿った見方をしてしまいますが、妹が「THEオンナ」である(無意識の)反動/抵抗とも考えられます。
そんな妹が「当てっこしよう」とクイズを出すシーンがあります。 人物当てクイズはフランスではよくある遊びなのでしょう。 最初に聞くヒントが「それは男ですか?」(女ですか?だったかな?)と、性別を聞くのです。 人が思う人の最初の分類は「性別」。 これは確実に監督の意図です。 さらに興味深いのは、新たに生まれた赤ん坊が男なのか女なのか、明らかにしないんですね。 生まれた時は「人」。でもいつしか「性別」に囚われていく。
彼女というか女友達ができますね。リザだったかな? テクニカル的に気になった点として、リザが初めて訪問してきた時、階段下で待っているリザの所にミカエルが来る。板付きのリザの所にインするんですね。 同じように、ラストシーンも板付きのリザの所にロールがインする。 一度は仲たがいした二人が再会するシーンです。 普通なら、主人公視線で、待っているリザの元に近づくカメラになる気がします。 でも監督はリザを板付きにした。 私はこの2つにシーンに違和感を感じました。 違和感があるということは、そこに監督の意図があるのです。
おそらく、「リザ=世界」なのでしょう。 世界は歩み寄ってくれません。 主人公は、自分の足で、世界へ踏み出す勇気が必要なのです。
ロール/ミカエルの顔で終わる秀逸なラストショット。 カメラは捉えませんが、リザが微笑んでくれたに違いありません。 偽らない姿で、自分の足で踏み出した者に、世界は微笑んでくれるのです。
世界は君に微笑んでいるんだよ。
監督がそう言っている気がします。 この映画が、終始、明るい陽ざしに包まれていることも、その証かもしれません。
(2021.10.03 新宿シネマカリテにて鑑賞)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。