[コメント] ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984/米)
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30数年ぶりに帰還したデ・ニーロがラリー・ラップの店に電話をかける場面では店の外側から店内の様子を映し、電話に出る店主の反応を窓ガラス越しに捉える。店主は残ってる客を厄介払いし、再び電話へ。カメラはカットしないまま通りを挟んで手前へと移動し、電話ボックス内のデ・ニーロへと高度を下げる。店主の方へ振り向くデ・ニーロへのズームと、そのミタメ、そして電話を置く両者。この間台詞は聞こえず、全てをサイレント的に処理している。長く離れていた者同士の再会、困惑か不安か期待か、或いは時の経過の重みを噛み締めているのか、そうした2人の何がしかの想いを言語や一定の所作として画面に出さず、ただ2人の行動のみを観客に見つめさせる・・・そして、それらを盛り上げる音楽と煙、良質の美術と撮影。
これこそがレオーネのむせ返るような浪漫性であり、人によっては「冗長」との謗りを招きかねない、かけがえの無い美点なのだ。もう私はこの場面で既に涙ぐんでしまった。
こうした浪漫性に溢れるショットは本作には数え切れないほどある。ジェニファー・コネリーとの邂逅もそうだし、取引現場でロバート・ハーパー一味の一人を射殺する際の、空に舞う羽毛の美しさや、それに続く車での海中への落下など。
中でも個人的に言及しておきたいのが、エリザベス・マクガヴァンをレイプしタクシーに乗った彼女が去った後、海へ向かうデ・ニーロを捉えたクレーンショット。草むらの向こう側の道を一組の自転車が通り過ぎ(これが良い!)、カモメの鳴き声が聞こえる・・・対するデ・ニーロは誰もいない道路を歩いていく。徐々に上昇していくカメラは画面奥に水平線を映し出す。男の只ならぬ孤独を感じさせる、隠れた名ショットと思う。
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