[コメント] アネット(2021/仏=独=ベルギー=日)
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レオス・カラックスのミュージカル?ロック・オペラ?どっちにせよレオス・カラックスも正気じゃないけど、これを「面白そう!」と思って映画館に足を運ぶ客も正気じゃない。 正直言って、レオス・カラックス自身もそれを分かっていると思うんです。だからわざと変なことやってる感じがする。それが鼻に付く。お前が「恐るべき子供たち」「カラックス…恐ろしい子」と呼ばれたのは40年も昔のことだからな。いいかげんにしなさいよ。結論を言うと、それほどトチ狂ってもなかったんだけど・・・。
ただ、冒頭から「フィクション」を謳うわけです。徹底して「これはフィクションです」と主張します。これは「虚構」を描いた物語なのです。
実際、マリオン・コティヤール演じるオペラ歌手のことを「毎晩毎晩死んでやがんだよ」的なことを言います。オペラとはそうしたものです。結婚して子供が生まれて幸せに満ちていても、悲劇のヒロインを演じて観客を泣かせるわけです。エンターテインメントとはそうしたものです。ところが、毎晩死ぬヒロインを演じていても、本当に死んじゃったら死んじゃうんですね。それが「虚構」ではない「現実」なのです。
コメディアンのアダム・ドライバーにしてみれば、オペラは「虚構」だけど「笑い」は本物だという自負があったかもしれません。しかし、彼の人気が「虚構」だったのです。私はレオス・カラックスを語れるほど観ていないのですが、落ちぶれたコメディアンの姿は、若くして称賛を浴びてしまったカラックス自身が投影されているのかもしれません。身をもって「虚構の栄光」を知ってしまったカラックスにとって、「俺は無力なんだよ〜」ってのも意外と本音かもしれません。いや本当は、アダム・ドライバー演じるヘンリー自身が「幸せな家庭」を「虚構」にしてしまったのです。
古舘寛治や水原希子の無駄遣いをはじめ、映画は相当「金」がかかっているように見えます。劇中のオーディエンスがミュージカルに参加するのもそうですし、ちょっとしたシーンも結構手間がかかってるように見えるんですよね。バイクツーリングの長回しとか。そこ、そんな手間隙かける必要あるかな?
そんな風に(相変わらず)無駄に金をかけながら、映画は最大の「虚構」アネットを登場させます。事ここに至っては、人形浄瑠璃か鶴屋南北ですわ。この世界は虚構だ、栄光も幸福も虚構だ、と「虚構」の映画は謳い続け、最後の最後に、人形もぬいぐるみも捨てて、少女が歌うのです。最後の最後に虚構やギミックを捨てて、生身の素晴らしさを描いた。私にはそう感じられたのです。ちょっと、グッときた。
ただ、私はもっとトンデモ映画を期待してたんだけどね。
(2022.04.03 角川シネマ有楽町にて鑑賞)
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