[コメント] ストーリー・オブ・マイ・ワイフ(2021/ハンガリー=独=仏=伊)
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『わたしの若草物語』に似たタイトルですが、全然違いました(<当たり前だ)。監督は、何度見ても読めないし覚えられないハンガリーの女性監督イルディコー・エニェディ(66歳)。
視点のしっかりした作品を撮る監督だと思っています。『心と体と』では、男女の物語を、男側の視点と女側の視点で描いていました。途中に「牛」視点が入るのですが、それを話すとややこしくなるのでやめましょう。牛視点?本当だってば。実際、途中でやたら長い屠殺シーンがあるんですが、その後ピタッとその視点がなくなるんだから。
本作は徹底した「男視点」。女性監督が考える「男視点」「男の考え方」が一つの妙味だと思うのです。
もう一つ、フェミニズムの監督。『私の20世紀』では、生き別れの双子姉妹が革命家と詐欺師になって再会する話だったかな。私のイメージとしては、この監督が描く女性像は、処女と少女と娼婦に淑女、How many いい顔、全部持っている。ああ、そうか、この映画、ウーン君にはまったく、君ってまったく、って映画なんだ。
男は「自分語り」をします。ジャワ島で幸せな家庭を見てさあ、みたいな話です。ところが、女は自分のことも、自分の過去も一切語りません。なんなら、未来のことも語らない。(対照的に若いお嬢さんは「私、いい奥さんになるわ」と未来を語る。)レア・セドゥーはひたすら「今」。なんなら、今日遊ぶお金さえ貰えればいい。金貰えないで机の上でダダこねるシーン大好き。面倒臭い女、嫌いじゃない。 一方、船長の男は航海図や天候といった「未来」を見ます。先に「過去」の自分語りについて書きましたが、彼にとって陸上の「今」は苦行でしかない。
これは、過去と未来を見ている男と今を生きる女の物語なのです。
実際、二人は「過去」もないまま、「今」出会って結婚します。また、船長として「海」の上の仕事を「未来」、旅先での島の思い出を「過去」、そして陸上を「今」だと考えると、レア・セドゥーは「陸」から離れないんですね。せっかく(新婚旅行も兼ねて?)客船の船長を引き受けたのに、彼女は同伴してくれない。唯一、終盤で「川」の船上デートをしますが、彼女、楽しそうじゃないんですよ。そう考えると、前半の貨物船の船上シーンは、実に「男社会」の印象が残ります。
ああ、なるほど。少し穿ったフェミニズム観点の見方をすると、一昔前は「男の世界という大海原に飛び込む女」が強い女でしたが、今は「男が陸(おか)に上がって来いや!」というのが強い女なんだな。それは『突然炎のごとく』のジャンヌ・モローから同じか。
でも、そう考えると、本作は話のオチのつけ方が「男が書いたストーリー」に思えてしまうのが不満。
(2022.08.14 新宿ピカデリーにて鑑賞)
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