[コメント] もっと超越した所へ。(2022/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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根本宗子ことねもしゅー(<逆だ)の作品(脚本)は、ドラマ「下北沢ダイハード」の1エピソードを見たきりなので、その特性が掴めていません。ちなみにそのドラマの演出家が、この映画の山岸聖太監督だったと記憶しています。
4人のキャラを書き分ける作業、ねもしゅー楽しかっただろうな。男4人も含め計8人、誰一人モブキャラがいない。つまり8人をきっちり描く作業は、作家として楽しかったと思うんだ。でも正直言って、観る側はあんまり満腹感が無い。やっぱり、どうしても「4分の1」の印象しか残らない。おそらく、作り手は4人をまとめた一つのストーリーを見せたくて、観客(というか私)は一人一人の人生をもっと見たかった、という齟齬なのでしょう。だって、『サマーフィルムにのって』や『美人が婚活してみたら』や『生きてるだけで、愛。』や『もらとりあむタマ子』の彼女たちを見ちゃってるからね。
あと、この8人(男女各4人)の中に「きっとあなたがいる」「共感できる」的な評(宣伝?)を見かけるんだけど、そうなの?みんなそんなにダメ男なの?ほら、俺、皆さん御存知の通りいい男だからさ。ワッハッハ。いや、真面目な話、ダメ男ってイケメンなんですよ。イケメンで女性がチヤホヤしてくれるからダメでも生きていける。南の島は寝転がってても木の実が落ちてくるし凍死もしないから経済発展しない。イケメンは努力せずに女性が寄ってくるから人間的に成長しない。イイ男ってのは必ずしもイケメンではないんですよ。顔を他の部分でカバーするからイイ男になる。俺のようにな。ワッハッハ。この話をヨメにしたら「だからお前はダメなんだ」と詰られたよ。
それはさておき、そもそもこの映画の作り手は共感を求めてたんでしょうか?もし共感を求めてたなら、あの「最後の大仕掛け」で世界観を壊したら台無しなんじゃないかなあ?いやまあ、そもそも3年前のエピソードで「あり得ないほど狭い人間関係」を提示するので、私は「リアルな共感」よりも「フィクションの面白さ」に寄せてるんだと思って観ていたもんでね。だから最後の大仕掛けも、「最初からフィクション寄りだったから(共感はしない代わりに)こういう展開もアリ」とは思ったんですけど。
むしろ、最後の大仕掛け自体よりも、その選択した結論が納得できない。本当にそんな妥協でいいのか?
そこまでは「女は泣いて強くなる」物語だと思って観ていました。以前と同じような日常に戻っていくけど彼女たちは一回り成長していました、という話でよかった気もしますがね。それはそれで悪くないと思うんだけど、それは昭和の価値観なのかなあ?そこをぶち壊した先が「超越した所」なのか?「超越した所」が、「もっとイイ男」ではなくて、「自分の考え方を変える」という点に帰着する辺りが、ねもしゅーらしさなのかそういう時代なのか……。
(2022.10.16 吉祥寺オデヲンにて鑑賞)
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