[コメント] アフター・ヤン(2021/米)
本作は「記憶」(それはとりもなおさず記録である)といういことについての映画だ。タイトルの通り、ヤンの後(あと)を描いた映画、つまり、ヤンが壊れてしまった後の家族を描いているのだが、それ以上に、終盤はヤンの記憶(メモリー、記録)についての映画になる。
ヤンのメモリーはサングラスタイプのプレイヤーで視聴されるが、その再現された画面は、暗い森の光のような、あるいは宇宙の星みたいな光が氾濫し、次第に小さな光が大きくなってフォーカスインのように記録映像に変わるという演出だ。記録された動画には、ファレルが知らない、謎の若い女性−ヘイリー・ルー・リチャードソンが映っており、ファレルによる、ヤンの過去につての探偵物語になるのだ。
画面造型は全般にミニマルかつシンプルで、色遣いも草木の緑を中心に慎ましく品の良い美しさで統一されている。特徴的なのは、エスタブリッシングショットが一切無いことで、自宅や、職場であるお茶の店、中華街の観賞魚ショップ、ラーメン店、あるいはミュージアムなど含めて、空間を引きで見せたショットが無いにとどまらず、外観さえ映さないのだ。あるいは、度々出て来る自動運転車も外観を見せない。移動中のシーンも車内のみ。この志向は一貫しており、ある種のふてぶてしさと云っても良いような図太さも感じられて私は良いと思う。
また、全編、静謐な場面が多い中で、クレジットバックで描かれる家族対抗ダンスバトルの画面はちょっと突出しており、観客の記憶に残るだろう。あと、ヤンのメモリーの中のクラブのシーンの断片で流れている音楽(小林武史の「グライド」)の扱いもいい。ファレルの娘のミカが口ずさむ、というのが何の説明もないが、示唆的で感慨深く、本作がヤンの記憶の映画であると同時に、娘ミカがヤンを忘れられないという意味で、ヤンについての記憶の映画としても強く意識される。この娘ミカの鼻歌が、エンドロールに引き継がれる処理もカッコいい。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。