[コメント] レッド・ロケット(2021/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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トランプは大統領就任演説で反エリート主義的ポピュリズムと「アメリカン・ドリーム」再興を掲げたが、実際のところここに登場する人々(ほとんどマイノリティ)は全然救われる対象にならず、彼の「アメリカン・ドリーム」のための、むしろ排除の対象となる。一般的な労働すら対岸的遠景に霞んで夢の国になる世界(ディズニーランドから置換された工業地帯が象徴的に対岸で映される)で、選挙戦の報道も聞き流すこの人たちはこれから一体どうなってしまうのだろう、と冷や冷やさせられ通しで、この人たちなりの「強さ」らしきものが、虚無ではないことは確かだが「なんくるないさ」的な達観でもなく、やけっぱちなのか無学なだけなのかしたたかさなのかもわからず、「その日を楽しめば大丈夫さ」なんて、「いや、全然大丈夫じゃねえって!!」と頭掻きむしることしきり。それこそ、もうアメリカン・ドリームなど信じるどころか思いつくことすらない。わからないのだ。ダメさが愛おしいなんて無理。乱痴気と笑いが高まるほどすごく苦しい。破滅のフラグが立ちまくっているのだ。全然笑えません。(太陽と戦慄さんが挙げられている町田康なら笑えるし愛おしいのだ。ものによるが。この違いは何なのだろう)
大体、ポルノ男優を扱った映画で重要なモチーフとして「勃たなくなる終わりの予感」というものがある(勝手な定義)が、これがずっと頭にチラつくので、これを「アメリカン・ドリーム」と繋げられると、その持続性のなさの苦しい予感に苛まれることになる。「アメリカン・ドリーム」、幸福追求権だから、その選択は自由なのだ。しかし、、、どうにも影が付きまとう。
ラストカットの主人公の笑みの引き攣りはそのへんの予感の現れだったのかもしれない。別の才能があるかもしれないストロベリーの人生を破壊するかもしれないという罪悪感もよぎっただろう。しかし、これに対比されたストロベリーの笑み。何なのだろう、この「大丈夫」という自信は。最底辺の中でもはぐれものの彼らは、見えている対岸とは全然別方向に跳ぶ。だからこそ「アメリカン・ドリーム」なのかもしれない。多くのアメリカ映画は常に「アメリカン・ドリームとは何か」という問い、時代とともに変わり続ける意味、成功と失敗のモチーフと無縁でいられなかった。この映画は2010年代半ばにおけるその問いの一つの答えなのだろう。変化球のボーイミーツガールから星条旗をバックにした巨根だが萎びたフリチンの逃走に至る、その彼に投影させたのは、持続可能性がいよいよあやふやになってきたアメリカ、その夢、「最後の勃起」なのだ。しかし、バイデン政権を経てトランプ再来の可能性が高まる今、その現在地はどこなのだろう。彼らはまだ息をしているだろうか。っていうか、なぜ奴は再来できるのだろう。複雑すぎる世界で、もう何もかもわからないのである。
(この考えは的はずれであると理解しつつ敢えて書くが、口止め料やら何やらのスキャンダルで裁判沙汰になったトランプの不倫のお相手女優がストロベリーだったら、、、ということを考えた。時系列が合わないからこれは完全に的はずれなのだが、うまく扱えばさらにパンチのきいた話になったと思うのだがどうだろう。)
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