[コメント] M3GAN/ミーガン(2022/米)
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「人形の暴走」という人類が大好物な妄想を映像化したものとしてかなり理想的な出来栄えと思う。まずミーガンの外見がいい。顔の造形や身長とか。そしてオンオフの切り替え時の見せ方は特にいい。「人形もの」はここが一番重要で、オフ時の無機質な時の表情の出し方がすべてを左右するのだと思うが、野外活動で他の子のぬいぐるみと一緒に置かれている時のたたずまいなんかは最高だ。隣の家の犬に噛みつかれる時の壊される様子、いじめっこに地面に無造作に落され頬を思いっきり殴られる場面の痛々しさ。物質なのに人の形をしているがゆえに、人類にとってはこの絵がとても痛々しく感じられるのだが、こういう見せ方が本当によくわかっているなあ、と思う。これがあるから「生き物のように」活動する時の怖さが表現されるのだ。
そこが十分及第点なのに、いままでにないタイプの演出のアイデアが素晴らしい。特に玩具会社のCEOと廊下で出くわした時にいきなり襲い掛かるのではなく、出し抜けに踊り出すファニーなクネクネダンスは画期的。先に動画を観ちゃったからあれだけど、あのシチュエーションであの行動するなんて絶対想像できないよ。これだけでこの作品をまた見たくなる。森の中でビーストモードで追っかけてくる動きも、あのルックスだから素晴らしい。終盤の壊れたロボットの動きなんかは誰でも想像できるけど、そうでない部分での見せ方のアイデアの勝利だと思う。
ラストのミーガンとジェマのバトルで、ケイディは躊躇なくジェマを守る側にたつのだが、ここでミーガンとケイディの間に、かつて愛し合ったものたちの相容れない関係性の憐憫をはさむのが日本なんだろうな。破壊されながらそれでもケイディの敵を排除しようとするミーガンに自分はいじましさを感じていたのだが、それはあくまでミーガンの自立という自分の欲望を達成するのための口実であると設定し、人形と少女の心の交流という方向にもっていかないのがやはりアメリカで、人間の形をしたものを尊んではならない、という精神性はキリスト教由来の感覚なのだろう。急に男の声で「恩知らずのガキめ」となるのがアメリカ、「ケイディ、あなたのためなのよ」と少女の声のまま最期まで語り掛けるのが日本の人形観という感じかな。モクメという人形と少年の交流を描いた楳図かずおの「ねがい」という作品があるが好対照だと思う。
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