[コメント] 追想(1975/仏)
メタボを戦闘機械にするのは、自身がメタボであるロベール・アンリコの邪念であるが、フィリップ・ノワレはこの邪念に対応しながらも、やはり体は正直で、交戦後に草むらに転がり喘ぐ場面の尺は長い。
つまり、ある種のもっともらしさが、現実とメルヘンの界面にあって、しかもそれがキャラの人徳としても機能している。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。