[コメント] 熊は、いない(2022/イラン)
監督本人を含め「枷をはめられた民たち」が「外」を目指す話しだ。映画を撮ることを禁じられたジャファール・パナヒは、自分を被写体にして、疑似ドキュメンタリー(自身の現実)とドラマ(遠因の非合理性)のあわいを描いて、その「罪深さ」をカタチにし告発する。
カタチのない因習(罪深さ)が小さな村からの脱出を阻み、祖国への偏見(凝固した因習)が国境の壁を高くする。ラストショットのパナヒの悲嘆に、為しても成らない「彼の境遇」と「映画の無力」に対する諦念が含まれているような気がして、ぞっとした。
私の思い過ごしならいいのだが。
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