[コメント] 笑いのカイブツ(2023/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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撮影が素晴らしいというのが第一印象です。鎌苅洋一というカメラマンだそうで、構図がバシッと決まった落ち着いた画面が美しかった。調べたら結構お馴染みさんでした。
あと、周辺のキャラクターの造形がすごく良かった。片岡礼子様演じる母親とか、オードリー若林役の中野さんちの太賀君とか、松本穂香ちゃん史上最もエロい松本穂香ちゃんとか。そして菅田君ね。超かっこいい。理想的な菅田君。こんな菅田君が観たかった。 あとやっぱり、天音はいいんですよ。天音大好き。あ、我が家では、岡山天音は「アマネ」と呼んでいます。アンガールズ風に。アーマーネー。
で、天音だから観ていられたようなものの、常軌を逸した男を2時間も見せられるのは正直辛い。何だろう?例えるなら、ツッコミ不在の一人ボケが続いているような感じ。
『アマデウス』もモーツァルトという常軌を逸した男の物語ですが、第三者のサリエリの視点で描かれているんですよね。モーツァルトが「ボケ」で、サリエリが「ツッコミ」のポジション。
『ジョーカー』を引き合いに出す人がいるのも分かりますが、その元ネタ『キング・オブ・コメディ』にせよ『タクシードライバー』にせよ、スコセッシは常軌を逸した人物を通して、その先の何か、例えば社会や時代を描こうとしていたように思うんです。つまり制作側は、常軌を逸した人物を客観視しているんですね。少なくとも、本作のように原作者本人ではない。
つまりこれ、社会性とか時代とか関係なく、「僕、イカレてるでしょ?」ってだけの話なんです。その場合、「そうだよ、あんたイカれてるよ」って第三者がツッコんで笑いに昇華するか、「イカれてるエピソード」自体が本当に可笑しいか、それしか面白くならない。この映画はどっちでもない。不快なエピソードの羅列。そうなんですよ、この映画、不快なんだ。
唯一映画的だと思ったエピソードは、3人での居酒屋場面。菅田君は居酒屋で働き、松本穂香ちゃんは同棲・結婚しようとしている。つまり、周囲は変化しているのに、この主人公だけは「ハガキ職人」から成長していない。私はここに「青春の終わり」を感じたんですよね。いいシーンだと思ったんだけどな。結果、なんだか主人公の「青年の主張」みたいな感じで観客の共感を呼び込もうとする。残念。やっぱり、本人が原作者(語り部不在)であることが出てると思うんです。
これが第三者視点で描かれていたら、また違った映画になったような気がします。スコセッシのカイブツ=デ・ニーロは共感を呼ばないからね。真似はしたくなるけどさ。
(2024.01.07 テアトル新宿にて鑑賞)
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