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[コメント] ゴッドファーザーPARTIII(1990/米)

あの悲劇は偶然ではない。
たかひこ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







常に先手を取り、確実に勝利してきたゴッド。だが、年齢や病、なによりも彼の動機付けの源だった<家>から見放されたことによる孤独に蝕まれていた。「まだ、時間はある」というヴィンセント言葉に簡単に頷いてしまうマイケル。手ぬるい。そんな時間などなかった。敵が刺客を差し向けることを許してしまったこと自体今までなかったことなのだが(身内の愚行ゆえの自宅襲撃事件は例外としても、だからこそ事後処理は、あるいはオーバーキルとも言えるほどに完璧に、彼は心臓を守るために肉を切り落とした。)、今回はそれを許してしまう。そして悲劇は起こる。悲劇は、彼がゴッドだったから起きたのではない。そうでなくなってしまったゆえに起きたのだ。

コッポラはこの作品で何を言いたかったのか。なぜこの物語はここまで<悲哀>に満ちているのか。それは、ゴッドの過去の苛烈な悪行に対する<報い>ではない。オペラ劇場にて。裏舞台のグロテスクな暗殺劇の間に挿入されるのは、息子の活躍を見て嬉しそうに微笑むケイの姿。このシークエンスを見れば、はっきりと理解できる。コッポラが告発しているのは、<悪しきイノセント>としてのゴッドではない。あのケイの微笑みに象徴されるような、表層だけの喜劇を眺め自己肯定する<純粋な>眼差しなのだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH[*] けにろん[*]

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